Column from SpainBACK NUMBER
スペインサッカーは時代遅れか?
text by
鈴井智彦Tomohiko Suzui
photograph byTomohiko Suzui
posted2005/03/22 00:00
なぜか? チャンピオンズ・リーグでスペイン勢が姿を消した。ベスト8にはイタリア、イングランド、オランダ、ドイツ、フランスのクラブが顔を揃えているというのに。取材先のイタリアで考え込んでしまった。
3チーム――ACミラン、インテル、ユベントス――が生き残っているイタリアだけれども、数年前には今回のスペインのように早々と全滅したこともあった。そのとき、スペイン人は笑っていた。いまでは、笑われている。イタリアに限らず、イングランドやドイツも、どの国のクラブもほんの数シーズン前までは、スペインのクラブに見劣りがした。前へ前へと急ぎ、身体能力ばかりが重視される。中盤の選手は球拾い。つまるところ、退屈だった。
ミランはコンパクトにラインを動かすことも、ボールを左右に振り分けることもできる。ルイ・コスタは2年前、「大金をかけて獲得するほどの選手ではない。使い物にならん」とイタリアの新聞に中田英とともに書きたてられていた。それが、いまではルイ・コスタにボールが集まる。
インテルも、ボールがよく走る。宙を舞うのではなく、地を行く。「いまが一番充実している」というカンビアッソは、レアル・マドリーから放出されてインテルで蘇った。
だが、まるで10人で戦っているようなゲームをするクラブがイタリアからなくなったわけでもない。「守備に錠をかける」という意である伝統のカテナチオは、イタリアの地に染み付いている。イタリア・カップのゲームでのフィオレンティーナがそうだった。ローマを相手に自陣に鍵をかけては閉じこもっていた。チャンピオンズ・リーグでのミラン対バルセロナ戦もそうだった。ミランの攻撃はシェフチェンコとカカに任せっきりだった。それでも、その試合の先制ゴールはカウンターからチェフチェンコが決めた。やはり伝統のカウンターは美しかった。
バルサとレアルは、ホームとアウェーでもちろん戦術は変えてくるけど、根本的なスタイルは変えない。いつも素のままだ。いっぽう、ミランやインテル、ユーベらは家着(オフェンシブ)と外着(ディフェンシブ)を使い分ける。試合の相手や流れによって洋服のカラーリングを変えてくる。大げさにいえば、ペナルティエリア内に11人が入って守ることを恥じない。それで勝てるなら、と。
しかも、ルイ・コスタにカカ、シェフチェンコからアドリアーノやミハイロビッチといった各国の名選手が揃うわけだから、その気になればボール支配率を高めることも、中盤から組み立てることもできる。もはや、中盤でのボール回しはスペインだけのお家芸ではなくなった。
イタリアとスペインを比較するときによく出てくる名前がある。ガットゥーゾとシャビ。いまでも、それは変わらない。ただ、セリエAではシャビのような器用な外国人選手を中盤で起用するようになった。スペインにもガットゥーゾ的な選手はいた。だが、名脇役として活躍したマケレレやダービッツは放出されている。
イタリアにはふたつの顔がある。オフェンシブとディフェンシブ。ホームとアウェー。ヨハン・クライフは、「汗をかくのはボールで、選手じゃない」と言った。「相手をボールに触らせなければ、失点することもない」とも。ごもっとも。しかし、イタリアのカテナチオはまったく逆の発想だろう。相手に仕事をさせて、疲れるのを自陣で待てばいい。一瞬の隙を狙ってとどめをさせばいい。なんだか、信長や秀吉に対する家康みたいだ。ホトトギスをフットボールに置き換えると。いまのところ、天下をとりそうなのはイタリアだ。
このままだと、スペインのスタイルは時代遅れなものになりかねない。単にボールを回して楽しんでいるだけ、だからスペイン・リーグはあんなぐずぐずした流れなんだ、と言われてしまうだろう。しかし、そんなことはないと思う。いまのスペインのスタイルを信じたい。守備を重視する? 守ることを覚えるなんて、スペイン人には似合わない。とはいっても、バルサとレアルの敗退は、何か悪い虫の知らせのような気もしている。