Column from SpainBACK NUMBER
バルサ、6シーズンぶりの歓喜。
text by
鈴井智彦Tomohiko Suzui
photograph byTomohiko Suzui
posted2005/05/18 00:00
早く笛を鳴らせ、と選手たちが主審にアピールする。時計の針は45分を指そうとしていた。あと数秒でバルサの優勝が決まるとき、困り果てていたのはラインズマン。カメラマン、ラジオ、TVのスタッフがバルサの選手たちの歓喜の映像、声を拾おうとタッチラインに迫っていたから、ラインズマンはグラウンドの中へ中へと追いやられていた。優勝の笛が鳴る。選手も報道陣も、紛れ込んだファンもいっせいにロナウジーニョへと向かった――。
5月14日、レバンテのホーム、シウダド・デ・バレンシアは半分以上がバルセロナのファンで埋め尽くされていた。なぜ、アウェーでこれほどまでバルセロニスタが切符を手にできたかというのも、レバンテがバルサに売ったからだ。レバンテの年間の会員に売っても金にならない。その席を少しでも、バルサ側に売れば大金になる。2部降格の危機よりもレバンテは金を求めたというわけだ。だからといって、仲良く引き分けの八百長というわけでもない。元バルサのジョフレのミドルシュートがポストに当たるなど、レバンテに追加点が生まれるチャンスもあった。怒りを抑えきれないロナウジーニョはピニージョスに頭突きをかまして警告を食らったほど。誰もが、興奮していた。
エトーの同点ゴールが決まっていなければ、もしくは、レアルが89分、セビリアのバプティスタに同点弾を許さなければ、優勝はお預けとなっていた。すべては、バルサの思惑通りに進んでくれた。エトーの得点王も、オリベイラとロナウド、フォルランがそれぞれ3、4ゴール差で追いすがってはいるが、ほぼ手中にある。ロナウドは優勝と得点王だけでなく、バレンタインデーに式を挙げたばかりの嫁までも逃すという結末となった。やっぱり、ただ者じゃない。GKビクトール・バルデスの防御率首位も、決まりだ。2番手につけるレアルのカシージャスに持っていかれないよう、消化試合は控えGKのジョルケラで行くという考えもあるらしい。
優勝が決まった晩は、街灯やバス停、公衆電話から店のショーウインドウに至るまで、酔っ払ったバルセロニスタたちは喜びのあまりに街を破壊する暴徒と化した。もちろん、地下鉄はどこもかしこもゲロまみれ(お食事中の方、すみません)。
翌朝4時、選手を空港で出迎えた1万2000人のファンも、続いてバルセロナで行われた優勝パレードも、過去5年間の鬱憤を晴らすかのようなお祭り騒ぎ。選手を乗せたバスは、3時間かけてゆっくりゆっくり市内を回った。パレードのルートではバスがやって来る直前まで一般車の通行が可能ということもあり、ところどころで交通事故も起きたが。
調子に乗っていたのは何もファンだけではない。カンプ・ノウにて行なわれた盛大な優勝カーニバルでは、バルサの選手がひとりひとりマイクを手にして、優勝の喜びを口にしていく。ライカールトはカタルーニャ語で挨拶をして、ファン・ハール元監督との違いを見せつける。ロナウジーニョもデコもたいていの選手たちはファンのおかげだ、といった言葉を送る。ここまでは、ありきたりな喜びだった。
ところが、ひとりの暴走機関車が現れた。
いつものように客席からはレアル・マドリーやフィーゴに向けた罵声が叫ばれてはいたけれど、それに便乗したのが、エトー。「マドリー、クソったれ」なんてのを、何度も何度もコールして客席をあおった。笑えた。カンプ・ノウがもっとも熱くなった瞬間だった。でも、他の選手たちはちと引き気味だったような……。来シーズン、エトーはベルナベウでとんでもないブーイングを浴びることだろう。レアルにはいい思い出がなかったのだろうか。24歳のカメルーン人も、まだまだ子どもだった。
それにしても、前回の優勝のときには、これほど騒がなかった。1998−1999シーズンでは2年連続ということもあって、報道陣もファンも優勝が決まったアラベスには大挙して押しかけなかった。何も恵まれなかった過去5年間。17度目の優勝。ピチチ(得点王)にサモーラ(GK最高防御率)。
カタルーニャ語でいうバンザイが響き渡る。「ビスカ・バルサ、ビスカ・カタルーニャ」久しぶりにバルセロナの街が熱に浮かされた。