ブンデスリーガ蹴球白書BACK NUMBER
大久保嘉人は通用しなかったのか。
~日本代表FWがドイツを去った理由~
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byRyu Voelkel(T&t)
posted2009/07/10 11:30
満足のいく出場機会を得られなかった大久保は、ドイツを離れるしかなかった
すくっても、すくいきれない。情報なんて、乾いた砂のように手の中からこぼれ落ちていく。現地通信員の私が集めた情報も、ドイツから日本へ送られる間に、いろんなものが失われてしまう。それでも、こぼれ落ちてしまったものを少しでもすくいたいから、「元」ブンデスリーガの大久保嘉人の話からこの連載を始めることにしたい。
伝わらない熱情に苦しめられていた。
大久保は、オーバーヘッドシュートを放っただけでフェリックス・マガト監督(当時)に叱られた。それがきっかけで、ベンチ入りのメンバーからも外されたこともあった。点をとろうという一心でシュートを放っただけなのに……。チームに来て間もないころ、味方にパスを求める大久保の声はピッチから記者席まで聞こえてきた。だが、いつしか、記者席からでも、パスをもらうのをためらっていることがわかるようになった。
試合後の彼のコメントが曲解され、デタラメな記事を書かれて傷ついたこともあった。チームが用意してくれるはずだった新居も決まらず、家族3人で落ち着かない生活を3カ月も強いられた。
ピッチの中でも、外でも、大久保嘉人は苦しんでいた。
迷いが消えた大久保は、かつての輝きを取り戻した。
だが、好転の兆しは、あった。
ヴォルフスブルクの試合を撮り続けているカメラマンの木場健蔵氏が、こんなことを言っていた。
「あくまでもカメラのレンズを通してなんだけど、彼がだんだんと上手くなってきてるのが分かるんだよね」
4月の終わりに、日本サッカー協会関係者がヴォルフスブルクの練習を視察した際、大久保の泥臭く力強いプレーに驚いたことは、知られていない。大久保のプレーから迷いが消え、輝きが戻ってきていた。シーズン終盤、5月に入ってからの復調は顕著だった。
例えば5月9日の強豪シュツットガルト戦。大久保はドリブルを始めると相手選手に体をぶつけられても倒れないで進んでいく。相手DFはファウルで止めるしかなかった。
「昨日はねぇ、楽しかったよ、やっぱ。久々にサッカーの試合をしてさぁ」