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デブを見て、幸せになろう。 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

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photograph byTadahiko Shimazaki

posted2005/09/09 00:00

デブを見て、幸せになろう。<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 世の中、ダイエット流行りである。飲めば痩せるサプリメントやら、塗れば細くなるクリームやら。最近では女性のみならず、若い男性でも「太っていたらモテない」とぬかしてダイエットに励むという。それよりガッチリ飲んで食って、キリキリ働かんかい!──取り乱しました。かく言う筆者もエステティックサロンに通った経験があるが、先に痩せたのは財布の方だった。以来、自助努力。吹けば飛ぶような体が「善」とされる日本の現実に頭を抱えたくなる。世の中には今、デブが足りない。

 プロレス界には古今東西、「お見事」とでも言うべきデブが多数存在していた。誰もが知っている元祖デブといえば、70年に初来日したアブドーラ・ザ・ブッチャーだろう。体重150キロの巨体で凶器攻撃を得意とする悪役レスラーだが、皆の記憶にあるのは巨体よりフォークである事は否めない。70〜80年代に日本で活躍し、欧州の帝王と呼ばれたオットー・ワンツは身長1メートル85に加え、体重は160キロ。こちらはフォークは持たず、重戦車と呼ぶにふさわしい。身長2メートルを超える大巨人も驚異だが、横幅のある戦いはいかにもプロレスらしいだろう。

 21世紀のプロレス界にも、やはりデブはいる。新日本プロレスには吉江豊がアンコ型力士、いやアンコ型プロレスラーの役割を担う。入門当時はガッチリ体型だったはずだが、みるみる増量して今や160キロ。ハンプティ・ダンプティの域を超えている。人間じゃないけど。故橋本真也さんが01〜04年に率いた団体「ZERO−ONE」には、180キロのマット・ガファリが参戦していた。アマチュアレスリングでは、アトランタ五輪の130超級銀メダリストという輝かしい経歴の持ち主だが、日本でプロレスに参戦した時は腹の脂肪がプリンのように揺れていた。前出の選手たちはデブはデブでも、体に張りのある「みっしり感」があったわけだが、ガファリの場合は「ぷるるん感」にあふれていた。しかし、一抹の不安は試合で払拭された。仰向けの相手の顔にその腹を押しつけ、脂肪の頂点を軸としてメリーゴーランドのようにクルクルと回転するという荒技をやってのけた。「ガファリ独楽(ごま)」と命名された恐怖の回転圧迫技は継承者がいないまま、現在に至っている。

 そして今、キング・オブ・デブが現れた。第64代横綱・曙である。K−1では日本国民の注目を一身に集めながら連敗街道をひた走り、今年3月に初勝利こそ挙げたものの、その後のふがいない試合に主催者側から三行半を突き付けられた。その直後に米国の巨大プロレス団体「WWE」でプロレスデビューを果たし、8月末からは全日本プロレスで日本マットに本格参戦。プロレスの天才・武藤敬司による指導を受けつつ、シリーズで全国を回る巡業に初めて帯同した。

 プロレスラーとしては新弟子だが、知名度と迫力は一流だった。曙見たさに行く先々で会場は超満員。リングアナウンサーが体重209キロを「460パウンド」とコールするたびに、どよめきが起こった。プロレス技の基本中の基本であるドロップキックをしても、会場からは「おぉー」、四股を踏むだけで「おぉー」。すくい投げを改良し、第64代をもじった独自の必殺技「64」を出せば、拍手喝采に包まれた。

 K−1では、格闘技界で根強く信仰されてきた「相撲最強説」を崩壊させた。しかし、プロレスに身を置いた曙はどうだ。ファンは彼に「強さ」だけではなく、「凄さ」を見せて欲しかったのだ。

 デブデブ、百貫デブ。子供の頃、太めの体をからかわれた人もいるだろう。無理に痩せる必要はない。老若男女が曙を見る時の笑顔。凄いデブには人を幸せにする効能がある。巨漢選手の戦いを見る時、私の心の中には「百貫デブ」ではなく、ディズニー映画の挿入曲「ビビデバビデブ」が流れている。

曙太郎

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