チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
スポーツと国境。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byKiminori Sawada
posted2006/12/01 00:00
4年に一度のW杯で日本代表はグループリーグ最下位に終わった。いっぽう中村俊輔は、毎シーズン行われる「日常のW杯」で、ベスト16入りを決めた。自らの活躍で。4年に一度のW杯では、活躍度の低かった選手の一人として、評価を下げた彼だが、半年後一転して、日本で最もステイタスの高い選手に変身した。彼こそが、日本サッカー界を代表するナンバーワンプレイヤー。これは紛れもない事実だ。
オシムの台詞ではないけれど、いま、日本サッカーを世界に宣伝している一番の人物でもある。日本といえばナカムラ。少なくとも欧州のファンの間には、そうした思考回路ができあがっている。
チャンピオンズリーグに出場するクラブのメンバーは、いまや無国籍化している。各チームには様々な国の選手が混在している。まさに、「スポーツには国境はない」状態だ。国境があるのを実感するW杯との最大の相違点である。しかし、逆もまた真なりではないが、無国籍化した現場にいると、むしろ国境を実感させられる。スポーツに、チャンピオンズリーグに国境ありと叫びたくなる。国立競技場で、日本代表の親善マッチを見るより、チャンピオンズリーグの場でナカムラを見た方が、はるかにナショナリズムは高揚する。22人の中の一人。だからこそ、逆に頑張れと叫びたくなる。ナカムラの親友でないにもかかわらず、だ。
そこで活躍すれば、ファンがあいつはナニ人だって話になるのは当然。活躍が日常的であればあるほど、国籍を連想する回数も増える。ナカムラの場合は、文字通り日本最高の宣伝マンに他ならない。
欧州組をなぜ日本代表に招集しないのか。日本では各所から、そんな声が湧く。だが、たとえば、先のサウジ戦に、望み通りナカムラを呼んでいたら、チャンピオンズリーグでの活躍は望めただろうか。ベスト16入りは叶っただろうか。悪影響は出たに決まっている。それはむしろ、日本サッカーの財産の損失に繋がりかねない愚行だ。いまは4年周期の1年目。走れる人には積極的に個人戦を戦ってもらう時期なのだ。
セルティックの次戦は、コペンハーゲンとのアウェー戦。これもまた大一番だ。勝てば、首位通過。敗れれば2位通過。決勝トーナメント1回戦の組み合わせは、グループリーグの1位対2位だ。2位になれば、どこかの組の1位と対戦する。勝ち目は薄い。逆にコペンハーゲンに勝てば、ベスト8も見えてくる。イケイケムードは加速する。
ナカムラの話はこのあたりにして、話をスペインに移したい。
レアル・マドリーは、先週リヨンとホームで引き分け、2位通過を決めた。堅さを増したとか、復活とか、バルセロナに勝利したクラシコ以降、ポジティブな声ばかり伝わってきたが、リヨンとの一戦は、少なくとも欧州のトップチームではないことを証明した試合だった。どう見てもリヨンの方が強い。マックス値はリヨンより低い、これが現実だ。よほどのことがない限り優勝はないだろう。
イチ押しのバレンシアは、故障者が続出。国内リーグ戦では黒星を重ねている。優勝は望み薄の状況になりつつある。だが、それはそれ。これはこれだ。チャンピオンズリーグでは相変わらず生きた存在だ。マックス準優勝ありという僕の予想も、同様にいまだに生きている。決勝トーナメント1回戦は2月20日と3月7日。この時までに故障者がどこまで、復帰しているかだ。メンバーさえ戻れば、このチームは強い。とりわけ欧州戦には向いている。
バルサは次戦のブレーメン戦(ホーム)に敗れればアウト。引き分けでも同様にアウトだ。情勢は微妙である。こちらも故障者続出。いまのバルサには、強いアゲインストが吹き付けている。しかし、もしそこで敗れても、日本にはやってくる。クラブW杯では、紛れもない本命だ。
バルサがクラブ世界一の座に就いたことはない。チャンピオンズリーグ優勝も、昨シーズンを含めても僅かに2回だ。にもかかわらず人気はダントツ。10回以上勝っているような勢いがある。世界の多くのファンから「世界で2番目に好きなチーム」に推されている。
理由は何か。クラブW杯を前に改めて整理しておきたい。このクラブの特徴は理想主義にある。「勝利と娯楽性は車の両輪のような関係で追求すべし」とは、クライフから直接聞いた台詞だが、クライフ以外にも多くの関係者がこの台詞を口にする。これこそがバルサの哲学なのだ。ただ勝つだけじゃあダメだ。スペクタクルでなければいけない。と言いながらも、世の中の大半のチームは、肝心な場面になると、勝利至上主義に陥る。理想を封印し、現実に走る。だが、バルサはそれをしない。とことん理想を追求する。世界でも希な存在だ。チャンピオンズリーグで2度しか優勝していない原因でもある。
だが、昨季のように、理想を貫きながら優勝すれば、絶大な喜びに包まれる。他のいかなる優勝よりも喜びの総量は多い。賞賛の総量も他の比ではない。その優勝には、特別な価値が含まれている。勝利至上主義、現実主義がはびこる世の中にあって、唯一独自の理想をかたくなに守るクラブ。それで勝てなくても良いじゃないか。そんな声さえ聞こえてくる。要するに綺麗事をとことん追求するクラブなのだ。クラブW杯を前に、再認識しておきたいバルサのカラーである。「ロナウジーニョは凄かった。デコはやっぱり巧いね」で、終わらせてはいけない。
だから、ブレーメン戦は最初からガンガン飛ばしていくに違いない。その結果、足下をすくわれる可能性は十分ある。それがバルサの真髄だ。カンプノウはそうした意味での聖地である。理想郷である。かつて、バイエルン戦だったか、マンU戦だったかいまとなっては記憶は曖昧だが、大一番に敗れてもスタンディングオベーションに包まれたシーンに立ち会った経験を持つが、僕の価値観はそれ以来、一変した。良い意味で人生が楽になった。いったい、日本人選手が、バルサでプレイする日は訪れるのだろうか。聖地でナショナリズムを高揚させる日は、是非その場にいたいモノである。