Column from SpainBACK NUMBER
ロナウジーニョとカスタード・クリーム。
text by
鈴井智彦Tomohiko Suzui
photograph byTomohiko Suzui
posted2006/02/22 00:00
バルセロナのプラット空港から車で街なかへ向かうと、ロナウジーニョがカスタード・クリーム味のヨーグルトを片手に白い歯をむき出しにして笑っている広告が視界に飛び込んでくる。いまやロナウジーニョはバルセロナの顔だ。
2年前、初めてのアジア遠征を試みたFCバルセロナが日本で得た収益は400万ユーロ(約5億3000万円)だといわれている。そのときロナウジーニョの兄ロベルト・デ・アシスも金策に駆けずりまわっていたという。かわいい弟と契約してくれそうなスポンサーを探していたのだが、ツイていないことに時代はベッカム一色だった。レアル・マドリーにはいろんなスポンサーが群がった。日本遠征の収益も1500万ユーロ(約19億9000万)と、バルサとは桁違い。日本もスペインも、ベッカム熱で侵されていた。
あれから、2年が過ぎた。ロナウジーニョの代理人を勤める兄のアシスが営業に駆けまわることもなくなった。ベッカムとの立場は逆転している。ロナウジーニョにはたくさんのスポンサーがつき、いまでは世界各国の新聞、雑誌の表紙にもたびたび登場する。
パリSG時代、ルイス・フェルナンデス監督に「アッカンベー」と舌を出して反抗していたのが嘘に思える。あのムラっけは消え、笑顔が彼のトレードマークにさえなっている。自然と彼が宣伝する商品も売れる。世界から注目されることで、FCバルセロナの名も世界に馳せる。カタラン人からすれば、バルサやロナウジーニョが有名になることでカタルーニャも世界に羽ばたく、という意味がある。バルサ=カタルーニャ。「オレたちゃ、世界でもすぐれたクラブだから」というのが、「すぐれた民族だから」という意味につながる。
ロナウジーニョはとにかく陽気である。いまのジーコからは伺うことはできないけど、スペインにいるブラジル人選手たちが作り出す雰囲気は、とても賑やかだ。
彼らの明るさを象徴するもっともなのが、音楽である。ロナウジーニョもロビーニョも、ブラジルの音楽が大好きでギターを弾く才能もあるという。もちろん、踊らずにはいられない。ちょうど、ブラジルではリオのカーニバルの季節だ。チャンピオンズリーグでチェルシーとの大一番を迎えているバルサであっても、ブラジル人たちはロンドンに遠征する前の晩もディスコでリズムをとっているだろう。カーニバルに行った気になって、踊り狂っていても不思議ではない。もう、DNAが黙っちゃいない。
それでいて、先週まで累積警告でピッチに立てなかったロナウジーニョは、家の近所のビーチでフィジカルトレーナーと夜のトレーニングもこなしていた。チームが連敗して苦しんでいた時期にコンディション維持に励んでいた努力家でもある。
天才と呼ばれる選手には小生意気という条件が加えられそうなものだが、ロナウジーニョにはそれも当てはまらなかった。ほぼ毎日、レンズ越しに追いかけている地元カメラマンは、ファンの気持ちをあれほど考えている選手もなかなかいないという。プレーだけでなく、人間性も尊敬してしまう、と。
たとえば、FKからゴールをあげた2月18日のベティス戦後のことだった。メインスタンドの観客席最前列にはこんな垂れ幕が張り出されていた。「ロナウジーニョ、ボクの“ダネ”とユニホームを交換して」。ダネとは彼がCMで宣伝しているカスタード・クリーム。CMでは客席の少年が持っていたダネとボールを交換してくれ、とロナウジーニョがお願いするわけだが、このシーンが現実と化したわけである。
ロナウジーニョはベティスの選手にユニホーム交換を断ると、ロッカールームへと続く道から外れて客席へと歩を進めた。突如、ユニホームを差し出すロナウジーニョに父親に抱えられた3歳児ぐらいの少年は何が起こったのか不思議な顔でいたけれども、そもそもロナウジーニョは試合中にそのメッセージを読んでいたのだから驚きだ。微笑ましい光景だった。裸のロナウジーニョは少年からもらったダネを手にしてカンプ・ノウを去っていった。