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朝鮮民主主義人民共和国 海南島合宿潜入記。
text by
吉崎英治Eiji Yoshizaki
posted2005/02/03 10:53
さっきから、練習場のすぐ横の道をいろんなものが通り過ぎている。牛。ニワトリを荷台にぶら下げたオートバイ。黒豚がこぼれ出そうなトラック。中年女性の両手がふさがっている。左手で自転車を押し、右手で牛を引っ張る。
憎っくき日本との2月9日の対決に向け、中国・海南島をベースキャンプ地に定めた。対岸がベトナムの南国情緒あふれる島。中心都市・海口の嘉得足球訓練基地は、フルコートで5面取れる、芝生の公園。
「日本メディアの正々堂々とした取材は受ける」なんて意気込んで、一番奥のグラウンドで練習する。接触のチャンスは、練習前後にこの道を渡るときだけ。寝泊りは、グラウンドから道路をはさんで500mほど離れたアパートで。中国語通訳なし。毎日、1階に集まって中華料理を食べている。
1月16日、日曜日。午後、練習前。
「アンニョンハシムニカ」
「……」
挨拶しても、鬼監督のユン・ジョンスは思いっきり無視。ストレッチにじっくり時間をかけ、やがてパス練習に移る。
この後に、警備員の出番。指で道路の方を差す。日本のメディアは、出て行きなさい。目が笑ってない。
隣のピッチには、日曜の草サッカープレーヤーたち。ハゲたデブ親父が、キックを思いっきり空振りした。ギャラリーの女の子、ドッと沸く。南の島の日曜の公園には、牧歌と緊張がニアミスしてる。
練習後。赤いジャージ軍団が引き揚げてくる。ストライカーのホン・ヨンジョを探す。1次予選で4ゴールを決めたチーム得点王。
「ホン・ヨンジョ選手ですか?」
違った。
「ヨンジョは体調が悪くて来てないぞ」
北朝鮮協会のスタッフが思わずポロリ。
1月17日、月曜日。午後、練習前。
「ホン・ヨンジョがいませんね。ケガですか?」
「彼は、正常な状態です」
気が優しそうなトレーナー。
続ける。
「日本人じゃないですか?」
「いいえ、南朝鮮から来ました」
続いて、ユン・ジョンス監督。
「おまえ、日本の記者だろう?― 出て行け」
バレました?― 取材するのは2回目ですからね。
練習後。再び、鬼監督に向けて。
「お疲れ様でした」
「……」
後ろから、北朝鮮協会スタッフ。
「おまえ、明日から二度とここに来るな。分かったな」
恐怖のチーム、北朝鮮代表がやってくる。年末年始も休まず、零下10℃を超す平壌で走りまくった。海南島に来ても、メディアの来ない朝5時から走っている。チームを率いるユン・ジョンス監督は軍が運営するクラブ「4・25」(サー・イーオー)の出身。軍での地位は、中佐なのだと言う。
60分ごろまでに先制点を挙げなければ、ジーコジャパンはカウンターの餌食になるだろう。不意打ちの作戦で、1次予選を勝ち抜いた。第3戦、バンコクでのタイ戦では、攻められながらもシュートはほぼ百発百中。4点を取った後の77分、FWキム・ヨンスが自軍のゴールで決死のジャンプ。手でボールをはじきだした。PKを取られたが、GKシム・スンチョルがストップし、4-1で勝った。
北朝鮮サッカーの何たるや。
ユン・ミョンチャンは、元北朝鮮代表チーム団長。'93年の「ドーハの悲劇」の頃、チームを率いた。'99年に亡命し、現在は韓国南部の大邱で食堂を経営する。当初は、サッカー関連の仕事にも就いたが、馴染めなかった。今年56歳にして、ご隠居生活。
ただやっぱり、サッカーにゃ口うるさい。
「北朝鮮サッカーには、4つの柱がある。これを徹底的に叩き込まれているんだよ!!― いいか……」
その一、精神力。
高句麗時代の歴史教育からはじまってる。あの時代には、広大な領土があったが、今は違う。心の底に劣等感がある。海外の金持ちの国に行くと「俺たちは小さいけど、でも目の前の強敵には負けない。少なくとも気持ちでは負けない」と思う。朝鮮民族の特性は、熱さだから。サッカーでもそれを生かさなきゃ。ぶつかってでも、勝ちに行く。
その二、体力。
これは、現代の国家政策と繋がっている。金日成主席時代の「体力があればこそ、国が強くなる」っていう考え方だ。
その三、スピード。
つまりは、カウンターのこと。「ボールを奪われたら、とにかく速く戻れ。奪ったら、速くゴールに迫れ」という教えだ。北朝鮮のサッカーの監督は、誰しもが“速度戦”を挑めっていう指導をする。
その四、技術。
まあ、これがないとサッカーにならんからな。
「何より、みんな本当にサッカーが好きだ。『俺、サッカーが上手いんだ』って自慢する奴がいたとする。朝鮮の男は、こうたたみかけるさ。『サッカーしないやつが、男なのか』って。軍隊とサッカーの両方を経験してこそ男、っていう雰囲気はあるね」
同じユンどうし、現監督のユン・ジョンスを、子供のころからよく知っている。平壌市内の「4・25」練習場近くで育ち、'80年代後半から'90年代前半にかけて代表の攻撃的MF、主将として名を馳せた。
「男らしくて、厳格な性格だな。試合には必ず勝つと信じて臨んでる。子供の頃から実力はずば抜けてた。ほかの子供たちといっしょに、4・25の練習場に遊びに来るんだけど、ポンとボールを渡すと、ボールタッチが全然違ったな。幼少からかなり運動に親しんできたエリートだ。最近の北のサッカー界でも有数の成功者だろう」
韓国に、ユン・ジョンスを知る人物がもう一人。韓国代表の名ウイングだったビョン・ビョンジュは国際試合で何度も顔を合わせるうちに、歳の近いユンと親しくなっていった。
「'90年のアジア大会では、選手村が一緒で、よく向こうの部屋に行きました。一緒にパーティーをしたこともある。ただ、どんなに盛り上がっても主将の彼は、周りをよく見てる。『おい、飲みすぎるな』とか『時間だから行くぞ』って、さっと声をかけていた」
脅威の精神力に、鬼監督。未知の相手、ジーコジャパンに牙を剥く。
ただ、資本主義国での試合で、北朝鮮はちょっと気をつけることがある。それは、思想がうんぬんってことではない。ユン・ミョンチャン自身も、選手に何かを制限することはなかった。
「代表選手にもなれば、国家からかなり認められた存在だ。外国でテレビを観るなとも言わない。現地の人と話すなということもない。海外の文化に触れて、嬉しいのはあたりまえのこと。若い選手は、話さないのじゃなくて、言葉が足りないだけなんだよ」
それでも、ユンが選手に「厳禁」としていたものが、ひとつだけあった。それは……ホテルの「有料放送」。チェックアウトの時にちょっと恥ずかしくなる、あれだ。
「セックスのビデオには、本当に手を焼いたもんだよ。社会体制とか、思想とかとは全く関係ない。試合前のコンディション調整のためだよ。ふだん観ないものを観て、興奮して眠れなかったらどうする?― 試合にならないだろう」
見るな、といわれるものほど見たくなるもの。管理者でありながら、ユン・ミョンチャンもその心情がよく分かった。そこで、キャプテンのユン・ジョンスを夜10時前に部屋に呼びつけた。
「選手の部屋に出向かせて、全部屋のテレビコードを引っこ抜かせたんだよ。これでやっと100%不可能になる。同じ外国でも、東欧圏ではこういう苦労はなかったんだが」
まあ、男なんて、どこでも似たもんだ。北朝鮮、それほど恐れることもない。
1月18日、火曜日。
海南島に来てはじめての練習試合。相手は、シンガポールリーグの下位チーム。
昨日は、協会関係者に怒られて、ホントは恐かった。今日は最初から顔を合わせない。逆サイドに回り、フェンス越しに前半45分を見る。北朝鮮の真っ白のユニフォームには、背番号が入っていない。
でも、それなりにチーム状況は分かる。チームと親しい関係者にも話を聞けたし、中国や韓国の新聞にも情報が出ている。
システムは、ワンボランチの3-5-2だ。DFラインはリベロが1人深く守る、ディフェンシブで安全なやり方。関係者によると「4-4-2と3-5-2の二つの意見があるが、ここ最近は伝統的に好んできた3-5-2を使う意見が強い」とのこと。
ストライカーのホン・ヨンジョはやっぱりいない。去年の11月17日の1次予選最終戦も欠場した。その時、ユン・ジョンス監督は「直前の負傷のため」と説明したが、それが長引いているのかも。
もし、日本戦に来ないのなら影響は大きいはず。1次予選のレギュラー2トップ、ホン・ヨンジョとキム・ヨンスは、'02年秋から、代表で一緒にプレーしている。ホンがポストプレイヤーで、キムがセカンドストライカー。少ない人数でゴールに迫るためには、この組み合わせがベストだろう。今日は替わりに小柄で、小刻みなステップが特徴のムン・イングッが前線に入っている。彼はMFでのプレーも可能だが……。
「北のヨン様」ことMFキム・ヨンジュンにやっぱりボールが集まっている。気になるのは、右ヒザのサポーター。きのう、協会の人がいないスキに「足、痛いの?」って聞いたら「ケンチャナヨ(大丈夫)」って、笑って答えた。外国人が自分のことを知ってくれてて、ちょっと嬉しそうだった。
「ヨン様」は、ワンボランチに入るが、相手が弱いとかなり前のほうで楽しくプレーする。ガニ股気味で、猫背で、180㎝と長身の彼は北朝鮮選手のようじゃない。他の選手は、小柄で背筋がピーンと張っている。
何より、ボールタッチが柔らかい。左右両足で同じようにキックできる。関係者によると、カタールなどのチームからオファーが来ていて、30~40万ドルの値段がついているらしい。
右サイドのハン・ソンチョルはスピードがある。169㎝の彼は、ボールをまたぎながら、一度スピードを緩めて一気に加速するプレーが得意のよう。だが、カウンターがベースのチームでは、相手が攻勢に出ると、守備的な位置でのプレーを強いられるはず。三都主アレサンドロとのマッチアップは、どうなるだろうか。
この日は、相手が格下だったので、得意のカウンターはあまり見られなかった。でも、後半は少しだけ相手にペースを握られる時間帯もあった。やっぱり、短いパスをつないで、スピード勝負でゴールに迫っていく。
今回の練習場は、情報があまり遮断できていない。二転三転して、ここに決まった。まず、候補に挙がったのが、埼玉と気候が似ている上海。が、金銭的な条件が合わず、あきらめた。日本の新聞で噂になったスペインは、候補にすら入っていない。キプロスも候補だったが、時差の問題があるのでやめた。同じ海南島の海沿いに、入り口で周囲をシャットアウトできる、よりよい条件のトレーニング場があったが、中国のプロリーグなどの予約が先に入っており、諦めたらしい。
……ハーフタイム。5人の男がものすごい剣幕で歩みよってくる。
ヤバイ、見つかった!
3人は中国の警備員。2人は北朝鮮の代表スタッフ。私服の警備員に発見されたようだ。
「おまえ、撮影してたな?― 今日は来るなって言っただろう。前に出て来い!― 名刺を置いていけ!!」
「知りませんよ。見物してただけです」
と、言いながら後ずさり。本気で恐い。
練習非公開なんて、中東のチームも、日本代表も、横浜マリノスだってやる。知られたくないのは、北朝鮮に限ったことじゃない。
ただ、見るな、といわれるものほど見たい。大事な大事なワールドカップ最終予選初戦の対戦国なんだから。
夜7時。空港にて。北京からのフライト。在日のアン・ヨンハッとリ・ハンジェがチームに合流する。ごった返す取材陣。日本人、中国人、韓国人、中国人朝鮮族。
待てども来ない2人。予定の時間を30分ほど回り、腕時計をちらほら見始める頃、10台近くのカメラを引き連れ、現れた。
おー、ヨンハッ。と、手を振る。
憎っくき北朝鮮選手、こちらに歩み寄る。
「あらー、久しぶりです。仕事なんですか?― お疲れ様です。いつまでいるんですか?」
今日、帰るんだよ。
「ああ、残念。じゃあ、また日本で」
まあ、いろいろあるけど、楽しもうぜ。
「はい、そうですね」
〈祖国と日本の間で揺れる男、血戦に臨む〉なんて緊張感、あまりなし。いたってフツーの感じ。
握手の後、歩みを進めると、瞬く間に2人をカメラが囲んだ。矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
祖国のために戦いますね?
両国は難しい関係にありますが?
不安はありませんか?
コンビネーションは大丈夫ですか?
人の波にかき消され、その答えは聞こえない。質問の間が少し開くと、リ・ハンジェは歩みを進めた。最後に、女性リポーターが朝鮮語で聞く。
いまの気持ちはいかがですか?
リ・ハンジェ、よどみなく言い切る。
「はやく、サッカーがしたいです」
うん、そうだな。
俺たちもはやくサッカーが観たいぞ。