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大畑大介はアキレス腱断裂を克服できるのか。 3度目のW杯へ。 

text by

高川武将

高川武将Takeyuki Takagawa

PROFILE

posted2007/03/22 00:00

 「ケガでもしなきゃ、取材してもらえへんでしょ?」

 ちょっぴり皮肉のきいた大畑の笑顔に迎えられたのは、2月下旬のことだった。神戸は灘浜、神鋼グラウンド。故障中の取材に恐縮すると、彼はこう返してきたのだ。

 その右足はスキーブーツのような装具で固められていた。1月14日、ヤマハとの最終戦で、パスを受け走り出そうとした瞬間、アキレス腱は、ブチッと音を立てて切れた。

 「後ろから鉄の塊でドーンと殴られたような衝撃でした。でも、いいネタができたなってなもんですよ。これでストーリーが作れるじゃないですか。W杯までの復活物語が」

 本気かリップサービスか。選手生命も危ぶまれる大ケガは全治3、4カ月の診断、W杯まではあと半年。そんな危機的状況を、彼は楽しんでいるかのようにさえ見えるのだった。

 起こるべくして起きた事故だった。

 既に5年前から、大畑は歩くことさえままならないほどのアキレス腱痛に悩まされ続けていた。それだけではない。昨年は左肩と2度の指の脱臼を手術、アキレス腱と一緒に手術した右肩関節の痛みは、いまだ寝返りも打てない。7年前から抱えてきた腰のヘルニアは、時折、靴下も履けないほどの痛みと痺れを誘発する。それでも試合に出続けていた。日本代表では主将として、攻撃はもとより、低く激しいタックルで、再三、相手の攻撃の芽を潰し、W杯アジア予選突破に導いた。

 日本のウィングに君臨して10年。キャップ数58は、現代表の中で群を抜く。満身創痍の肉体に追い打ちをかけたアキレス腱断裂。引退の二文字がチラついてもおかしくはない。

──引き際、考えてるでしょう?

 そう問うと、大畑は「もう、辞めます」と笑って、語りはじめた。

 「今回ケガして、冗談で皆に、もう辞めるわって言ったんですけど、誰一人、お疲れさんと言ってくれなくて(笑)。14番を付けてW杯の舞台に立ってるお前しか想像できへんと。まだ頑張らな、ここで終わったらアカンのかなと思って……。ファンの方からも、ここで終わるのは大畑大介じゃないと温かい声をたくさん頂いて励みになりました。今度は僕が復活することで、病気で苦しんでいる人たちや、仕事で失敗して心のケガをした人たちに勇気を与えたい。実際、日本のラグビー界で一番知名度のある僕が、もしケガで終わったら、ラグビーはやっぱり危険なスポーツなんやと思わせてしまう。そしたら、またラグビーをやる子供も減ってしまうと思うんでね。

 ケガしてホッとしたのは事実なんです。これで体も心もリセットできると。正直、ここ数年は、いつも辞めるタイミングを探してました。('03年夏に)フランスから帰ってW杯を終えてからは、やり甲斐が見出せなくて。歩くのもしんどいのに試合してると、何でここまで無理してるのやろ? と。それでもできてしまう自分がいて……。でも、今回ほど、絶対に復帰したるねん!― と強く思うケガはないですね。久しぶりに自分の気持ちを内側から駆り立てる、大きな山にぶち当たりましたよ。全てを賭けて勝負できるものをやっと見つけた。これだよ!― って。神様が最高の試練を与えてくれたな、面白いなって」

──3度目のW杯、やり残したことがある。

 「勝ちたいですね!― 個人ではもうどうでもいいんです。日本が歴史を作る瞬間に自分も一緒にいたい。今まで2度出て、トライは挙げたけど一度も勝てなくて、最後のW杯で勝てたとしたら、もう完璧でしょ?(笑)大畑大介のラグビー人生は」

 そこまで話すと、大畑は真剣な眼差しを向けて、続けた。

 「最近は、日本がW杯に行っても負けるのが当たり前みたいなことになってきてるんでね。それが本当に嫌で……」

 日本ラグビー界の広告塔になる、ピエロでありたい──。大畑は常々そう公言し、あらゆるメディアに頻繁に登場してきた。

 きっかけは、今から10年前のことだ。大学3年で代表に初選出され、韓国戦で3トライの鮮烈デビューを飾り、次代のホープとして騒がれ始めた。

 「この気持ちよさを離したくない。もっと頑張ればもっと取り上げてもらえる」

 '02年の正月特番『スポーツマンNO1決定戦』の優勝で、その名は全国区になる。一時は、地味だったラグビー場に、若い女性の行列ができた。その後も、シーズン中からラジオのパーソナリティを務め、新聞連載をもち、バラエティ番組にも出続けている。大阪人特有の軽快なトークもあって、実績だけでなく、ラグビー選手のイメージを変えた男でもある。そこにはこんな思いがあった。

 「俺がラグビー界の先頭に出たるねん、大畑大介の存在で世間の人をラグビーに振り向かせるんや」

 もっとも、日本のラガーマンが現役中に番組を持つのは異例のことだ。

 「そんなことしてるから勝てないんだ」

 「芸能人みたいなことをするな」

 批判ややっかみも、当然、聞こえてくる。だが、大畑はそんなことも意に介さず、むしろプレッシャーと感じるようにしてきた。

 「こうしてケガしてるのに取材を受けたりすれば、また何やかんや言われるじゃないですか。でも、だからこそ結果を残そうと、頑張れるんですよ。僕はあえて、現役中とシーズン中にこだわってるんです。番組で僕に興味を持ってくれた人がラグビーを見に行こうと思った時、すぐに試合場に足を運んでほしい。オフではタイムラグができてしまう。そしたら忘れられてしまう、マイナースポーツは。まあ実際ね、僕が活躍すればするほど、日本のラグビー人気は落ちていってますからね。悲しいかな……(苦笑)」

 大畑には珍しく、少し沈黙した。

 この10年、確かに大畑自身は有名になった。個人的には、7人制W杯MVPやトライ数の世界記録など、結果も残してきた。だが、それと反比例するかのように、日本のラグビーは本当のマイナー競技になってしまった感がある。大畑が突出しても続く者はなく、平尾誠二や大八木淳史ら代表デビュー当時はいた認知度のある選手たちも次々に引退し、いつのまにか一人で日本を背負うような現状になっている。そこに大畑のジレンマがある。それもこれも、日本が勝てないからだった。

 「それが一番の問題です。サッカーは代表が結果を残してるからこれだけ盛り上がる。でも、正直ラグビーは代表が頂点になっていない。僕が代表に10年間いる中で、その状況を変えることができなかった。過去2回のW杯で結果を残すことができなかったから11年の日本開催権もとれなかったんだと思うし、今年結果を残せば15年の日本誘致も実現できるかもしれない。そういう意味でも、人生を賭けたい。一人で背負うシンドさもあるけど、でも誰もが背負えるわけじゃないでしょ。今は、背負える喜びを、もの凄く感じてますよ」

 そこまで聞いて私は意外に思った。かつて、フランスはモンフェランのレストランで、移籍当初の大畑と長時間話し込んだことがある。当時日本は初のトップリーグ開幕を控えていた。エースが日本を捨てるのか、という声が大畑に浴びせられていたが、そのとき彼は批判も気にせず「自分のためだけにやっている」と強調したものだった。それが今は「人のため、日本のため」を強調する。

──随分、変わりましたね。

 「完全に変わりましたね(笑)。あのときは、全てを断ち切ってでも出る杭になるんだという思いで行った。でも、フランスに行って初めて自分が日本人なんやと気づかされたんです。選手と話していても、日本てW杯に出てるの?― と凄く軽く見られていて。自分の母国が小さく見られていることが、凄く悔しかった。帰ってから桜のジャージを着た時に、楽しかったし、日本を背負えてる自分を実感できた。俺は日本でラグビーしてる人間だ、日本代表なんだと強く思って。だから、絶対に結果を残したるねん、ここで自分の居場所を作ったるねんという気持ちになった。そこからですね、いろんなものを背負える楽しさを実感したのは」

──W杯、本気で勝てると?

 「思ってますよ、僕は。本気で」

(以下、Number674号へ)

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