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長谷部誠 僕が岡田ジャパンのキーマンになる。 

text by

木崎伸也

木崎伸也Shinya Kizaki

PROFILE

photograph byKeiko Kanda

posted2009/06/15 11:00

長谷部誠 僕が岡田ジャパンのキーマンになる。<Number Web> photograph by Keiko Kanda

監督の戦術に長谷部らしさを加える天性のセンス。

 しかし、長谷部の中には、一か八かでロングボールを蹴ることに大きな抵抗があったのである。

「僕の場合、シンプルに細かくパスをつないでいくのが、サッカーだというイメージがあった。でも、このチームでは、そういうサッカーは目指してないんです。監督がDFの裏に蹴れと言ったら、それを守らなければいけない」

 ただ、長谷部は監督の戦術を受け入れつつ、そこに一工夫加えることを忘れなかった。

「ロングボールとはいえ、相手に渡してもいいと思って蹴りたくはない。スペースを狙うのではなく、ピンポイントでFWの胸や足元を狙おうと思った。監督は『相手ボールになっても奪えればチャンスになる』と言っているんですが、自分はロングパスでもつなげる自信があったから」

 ハノーファー戦の先制点は、長谷部の縦パスをジェコが胸トラップして、そのままボレーシュートで叩き込んだものだ。もちろんジェコの能力がずば抜けているのだが、ピンポイントで胸を狙った長谷部の技術とアイデアが、その長所を引き出したと言える。

「これまで自分の中では、『将来監督になったら、こうやろう』というイメージがあったんですが、また別のやり方もあるんだということがわかった。そういう意味で、マガト監督のサッカー観には影響を受けました」

ドイツ語でチームにわからしめた自己犠牲の精神。

 また、長谷部の復帰が、チームに意外な効果をもたらしたことも、見逃してはいけないだろう。

 31節のシュツットガルト戦(5月9日)で、ヴォルフスブルクは1対4という大差で敗戦を喫してしまう。その結果、ついに2位バイエルンに勝ち点で並ばれてしまった。試合翌日のミーティングでは、監督と選手が衝突し、3時間を越える大激論になった。

 マガトが要求したのは「攻守の切り替えが遅い。もっとボールを追え」ということだった。それに対して選手たちは「この敗戦は忘れて、次に進むべき」と反論した。監督とコーチが部屋から去った後も、選手だけで話し合うことになった。

 ドイツ人選手たちが中心になり、国籍を超えて意見を述べる。長谷部は何の躊躇もなく、みんなの前で、ドイツ語でこう言い切った。

「シュツットガルト戦では、DFラインの裏にボールが出たとき、FWが全然追わなかったじゃないか。もっと、そういうときに全員が走ろう。あと3試合しかないんだぞ。1つ1つのプレーを大事にしよう!」

 長谷部の意見だけが、チームの方向性を決定付けるわけではない。だが、この日本人が、誰よりもチームプレーに徹することは、みんなが知っている。優勝が目前にちらつき、個人プレーに走る選手が出てきた中、再び長谷部がピッチに入ったことで、自己犠牲の精神がチームに芽生えた。間違いなく長谷部は、ヴォルフスブルクに欠かせない選手のひとりになっている。

(続きは Number730号 で)

長谷部誠(はせべまこと)

1984年1月18日、静岡県島田市生まれ。藤枝東高から2002年に浦和レッズ入団。'08年1月、ドイツのヴォルフスブルクに移籍。今季はブンデスリーガ34試合中25試合に出場。日本代表では'06年2月の米国戦でデビュー。岡田監督のもとで'08年からレギュラーに定着。キャップ数19(5月27日現在)。179cm、72kg

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