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フェネルバフチェ 「ジーコ、炎上中」 

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

PROFILE

posted2006/09/14 22:22

 ジーコがイスタンブールのアタテュルク空港に降り立ったのは、7月5日のことだった。

 〈I LOVE YOU,ZICO!〉

 歓迎のコールが響くなか、姿を現わした新監督のもとに、ひとりの男が駆け寄って黄色と紺の縦縞ユニフォームとペンを手渡した。ジーコは慣れた手つきでサインを書き込み、請われるままに記念撮影に収まる。

 いまごろジーコは、早まった、と悔やんでいるかもしれない。ユニフォームにはトルコ語でメッセージが書かれていたからだ。

 「フェネルバフチェの百周年に、チャンピオンになることをお約束します」

 3000万人はいるといわれるフェネルバフチェ信者と、(おそらく)何もわからないまま契約してしまったのだ。

 ジーコを指揮官に戴いたフェネルバフチェは、トルコ・スーパーリーグで3連勝と最高のスタートを切った。とはいえ、国内の小さな敵に勝つことは彼らにとっては当たり前、大事なのはヨーロッパでの成功だ。

 皇帝と呼ばれるアジズ会長は、百周年を迎えるにあたって高らかに宣言した。

 「国内二冠はもちろん、ヨーロッパではチャンピオンズリーグで最低ベスト16、もしくはUEFAカップを制覇する」

 そして、135億円という巨額の予算が組まれた。ジーコに敗北は許されない。勝って勝って勝ちまくらなければならない。

 ところが、早々と一敗を喫した。ディナモ・キエフとのチャンピオンズリーグ予選の3回戦、敵地での初戦を1対3と落としたのだ。開始22秒で先制されるというお粗末な戦いぶりで、早くもヨーロッパ戦線に赤信号が灯った。

 この一戦はトルコでも中継されたが、残り15分で解説者の声が聞こえなくなったという。

 解説者は、フェネルバフチェの守りを批判しつづけた。そこに問題があることは、開始直後から明らかだったからだ。

 「この守りでは危ないですよ。もっとゴールを奪われる恐れがあります」

 後半の開始直後には、

 「さあ、ジーコ監督はどうやって守備を改善してくるのでしょうか、要注目です」

 その声が気がつけば消え、終盤は実況の絶叫だけになってしまったというのである。

 トルコのメディアは一種独特で、クラブを批判する記者や解説者は、それが的を射たものでもファンやクラブから疎んじられる。翌日、とある新聞社のホームページの読者広場は解説者を罵倒するメールで埋め尽くされた。

 「お前が解説したから負けたんだ!」

 「今度、批判したら殺してやる!」

 ジーコはまだ、安全圏にいる。

 着任早々、ジーコは「自由」と「アタッキングサッカー」のふたつをお題目に掲げ、そのフレーズはファンの心を鷲づかみにした。

 前任者のダウムは、監督の墓場のようなフェネルバフチェで史上最長となる3年間、指揮を執った。スーパーリーグで優勝、優勝、2位と黄金期を築いた。だが、その一方で規律を重視した彼は、「退屈だ」と批判される。最終節で優勝を逃した3年目は90得点というリーグ記録を樹立したが、それでも「セットプレーからのゴールばかりだ」となった。そんなところに自由と攻撃を標榜するブラジル人がやって来た。

 「攻撃的なサッカーでゴールをたくさん奪い、みなさんを喜ばせます」

 ファンには福音のように聞こえたかもしれない。就任会見で、ジーコはこうも語った。

 「このクラブにはヨーロッパ王者になる力がある。こんな素晴らしい設備を持ちながら、いままで勝てなかったのが不思議ですよ」

 身びいきが過ぎる信者たちは、ジーコのような英雄に褒められてご満悦になった。

 正直者のジーコのことだ、それは本音に近かったと推察される。だが、クラブの現状とヨーロッパの厳しさを知る監督だったら、ヨーロッパ王者とは口が裂けてもいわないだろう。実際、ライバルクラブの監督は耳に痛いコメントのオンパレードだ。ベシクタシュのティガナやガラタサライのゲレツなどは、つねに幹部や選手を相手に戦っている。

 「この編成では勝てない。補強について明日にでも会議を持ちたい」

 「選手が指示を守らなかったことが敗因だ」

 ジーコは敵や審判としか戦わないが、先輩の同業者を見習うべきかもしれない。というのも、大事なシーズンだというのにフェネルバフチェは補強に大きく出遅れたからだ。

 2年間で55ゴールを荒稼ぎしたノブレをベシクタシュに奪われ、フランス人のアネルカは練習を無断欠席するなど宙ぶらりん(後にボルトンへ移籍)。補強リストにはロベルト・カルロス、クレスポ、イブラヒモビッチといった大物たちがリストアップされたが、だれひとり獲得できなかった。サンパウロFCから引き抜いたウルグアイ代表の守備者ルガーノも、キエフ戦には登録が間に合わなかった。

 そもそも百周年プロジェクトが上手くいっていたら、ジーコはフェネルバフチェの監督にはなっていない。スコラーリやパレイラといった大御所に逃げられたから、お鉢がまわってきたのだ。仕方なく連れてきた監督に、フェネルバフチェは3億円を超える年俸を保障した。「カネがあるだけ」と揶揄されるクラブのすることではある。

 ディナモとの第2戦を迎え、狂信者たちを魅了する日刊サッカー紙〈フォトマッチ〉は、十八番である奇怪な文章でファンを煽った。

 「我がフェネルバフチェには、物凄く熱狂的なファンと物凄いスターたちがいる。お前たちが信じるなら、フェネルバフチェは歴史的な勝利を手にするであろう。さあ、フェネルバフチェよ、ディナモの連中をピッチに生き埋めにするのだ。そして我々は道に……」

 敵を生き埋めに、というのは同紙お約束のフレーズ、道というのはヨーロッパの頂点への道のりを意味するのであろう。

 アジア側に聳え立つ本拠地シュクリ・サラジオウル競技場に、カナリアと呼ばれるファンたちが湧き出すように集まってきた。

 「俺たちは絶対に変わらないお前(クラブのこと)を、絶対に変わらない愛情で愛し続けるのだ!― 絶対に変わらないお前を……」

 熱い熱い絶叫がスタジアムを包み込む。

 暇そうな学生にジーコについて尋ねると、

 「ワールドカップを見たけれど、日本は弱かったじゃねえか。なんで、あいつなんだよ」

 と愚痴り始めた。こういうファンもいるにはいる。だが、こんなことも言い出した。

 「でも、アジアカップで勝ったんだろ?― ユーロみたいにハイレベルな大会なんだろ?」

 「ユーロとは違うよ」と否定しても、

 「いや、ユーロと同じだろう」

 「違うってば」

 「でも、ユーロなんだろ」

 カナリアたちはジーコを信じている。信じるほかに、いまのところ道はないのだ。

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