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山田久志 「できれば全盛期に対戦してみたかった」
text by
永谷脩Osamu Nagatani
photograph byNaoya Sanuki
posted2009/01/16 00:00
初めての対戦は西宮球場やったかな。グラウンドに入ってくるなり、ペコッて俺に向かって挨拶してきた。かわいい奴やなって感じがしたね。
だけどこれが打席に立つとまったく違う。何か吸い込まれるようなオーラがあった。当時は「高卒ルーキーなんて全部ストレートで3球勝負したる」なんて息巻いてたけど、ストレート2球で追い込んで3球目にスライダーを投げた。その時のストレートじゃやられるぞって気配を感じたからね。打ち取ったけれど、いい当たりのショートゴロだった。
俺のような下手投げの投手にタイミングを合わせるなんて、一軍に上がりたての選手にできることじゃなかったから、いつかやられるだろうなって思ったよ。そしたら次の西武球場の試合で、ストレートをバックスクリーンに持っていかれた。あれは間違いなくストレートだったのに、清原のコメントは「シンカーを打った」だって。シンカーに見えるなんて、ストレートに力がなくなっていた証拠だね。でも悔しいという気持ちより、爽快感が勝った。そういう打者は当時でも門田(博光)か落合しかいなかったな。抑えても打たれてもいい勝負ができた。勝負を楽しむ感覚があったね。
3年間しか対戦しなかったけど、清原は毎年確実に進歩していったのが分かった。スイングが速くなって、打球がどんどん遠くに飛ぶようになっていたからね。打たれた安打8本のうちホームランが5本、打率が.250か。もっと打たれた感じがするな。
逆に抑えた記憶が残っているのは俺の2000奪三振のとき。記録は清原で達成すると宣言していて、実際にそのとおりになった。真ん中高めをフルスイングしてね……あれはわざとしてくれた三振じゃないかな。いい奴やなとしみじみ思ったね。勝負している者同士で心の機微が分かる奴だった。その点落合なんかはまったく違う。俺の200勝のときなんかホームラン3本も打たれたもんな(笑)。最後の打席くらい、三振で花を持たせてくれても良かったのに。
清原は若くしてそういうものを心得てる打者だった。ただ成績やプレーだけではないところでお客さんを喜ばせ、野球界を盛り上げようという昔風の気持ちを持っていた。その最後の選手だったかもしれない。
あいつに一度だけデッドボールを当てた。翌日すまんなあって声をかけたら、八重歯を出してにっこり笑って、「普通やったら当たったところが黒くなるんだけど、ちょっと赤くなっただけですわ」だって。ショックやったな(笑)。全盛期のシンカーなら骨折してるはずだったのに。できるものなら全盛期同士で勝負してみたかったね。
清原がインサイドを打てなかったっていう印象はない。当時西武のコーチだった土井(正博)さん式の打ち方で、ホームランをバンバンってことはないけど上手にさばいていた。少なくとも俺が対戦した最初の3年間はね。
清原が入ってきた頃は、セ・リーグばかりが人気があってね。だからあいつにパ・リーグに注目を集めさせるような選手に育ってもらいたいという気持ちでやっていた。
だから当時最高の技術を持っていた落合に会わせたりもしたけど、ひょっとしたらあれは間違いだったかもしれないなあ。今になってみると、落合のバッティングは清原には合ってなかったような気がする。俺がどうこうしなくても、清原は落合のバッティングを盗もうとしただろうけどね。バッターってその時々で一番いいバッターの技術を盗もうとする習慣があるからね。
かといって清原がダメだったわけではもちろんない。すごい成績を残したし、特に2、3年目なんてのは高卒の選手には見えなかったもんな。野手では久々の大物がプロに入ってきたなと感じた。何よりスターに必要な明るさがあったからね。