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「なんでこんな家に生まれたんだろう…」引退直前の女王・里村明衣子がいま明かす暗黒の少女時代「あのときが人生で一番つらかったかもしれない」
posted2025/04/17 17:03

愛称は「女子プロレス界の横綱」。引退試合は4月29日の後楽園ホール「里村明衣子 THE FINAL」で行われる
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Shiro Miyake
発売中のNumber1117号に掲載の《[引退直前インタビュー]里村明衣子「生き抜いた理想郷」》より内容を一部抜粋してお届けします。
ひたすら泣いていた少女時代
今日もまた、家の外まで母と姉が怒鳴りあう大きな声が聞こえてきた。
「うわっ、まただ……」
玄関の前で、踵を返す。重い足取りで「いつ家に帰ろうかな」と、歩いてきたばかりの道を引き返す。しばらくして、再び一軒家の前に立つ。意を決して門をくぐるたびに、8歳の里村明衣子の心は痛んでいた――。
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里村は3人姉妹の末っ子で、「習い事はなんでもやらせてもらった」と、何不自由ない暮らしを送っていた。生活が暗転したきっかけは、両親が夫婦で建設関連の有限会社を起業した直後。父が連帯保証人になって、莫大な借金を背負ったことだった。
「ちょうど7歳上の長姉が高校に進学するときで、やりたいことができなくなった姉が荒れたんですね。日々、常にイラついていました。思春期の姉が言うことに、母は『お金がない』と平行線。その怒鳴り声を聞きたくなくて、止める日もあれば、隠れる日もあって。ひたすら、泣いてた気がします」
父は返済のために、仕事ざんまい。長姉が母と衝突すると、里村はあいだに入った。
「なんでこんな家に生まれたんだろう、なんでこんなことになったんだろうって思いはしたけど、言葉に出せない。いまだったら自分が自立しているから、どうにでもできるんです。でも、子どもの力では諍いを抑えることができないし、自分で稼ぐこともできない。小学生のあのときが、人生で一番つらかったかもしれないですね」
そんな環境下で、あるものを手に入れた。
「自立心が、すっごく強くなったんです。大人になったら自分で稼いで家を出るという考えが、早い段階で身につきました。それは、とってもよかったと思います。あの時代がなかったら、早く家を出たいとか、悔しいとか、そういう強いバネが自分のなかで生まれなかった。ああいう家庭環境でなければ、きっとこの仕事をしていないだろうから、いまでは感謝しています」
地元・新潟県の体育館に来た新日本プロレス
小学校を卒業、中学校に進学してもなお、家庭内には靄がかかっていた。ディストピアは、実に6年間も続いた。
「でも、プロレスラーになりたいという夢が見つかったので、そこからすべてを切り替えられました」
14歳のときに地元・新潟県の体育館に来た新日本プロレスを生観戦したことで、一筋の光明が差し込んだ。
1994年の夏、元クラッシュ・ギャルズの長与千種が新団体「GAEA JAPAN」の旗揚げを発表し、1期生オーディションを開催した。里村は中学3年生で受験し、合格。弱冠15歳で単身上京して、神奈川県内で寮生活をスタートさせた。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の「経営者としてのゴールは…」里村明衣子がプロレスラー人生で“立証”したものは何か?「あの日が、私のほんとうの人生のはじまり」《引退直前インタビュー》で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。

