プロ野球PRESSBACK NUMBER
「拷問を受けているよう…」監督の退任決定→西武選手たちが大歓声でバンザイ…伊東勤(62歳)が今明かす「一番嫌だった」記憶とは?
text by

伊東勤Tsutomu Ito
photograph byJIJI PRESS
posted2025/03/01 11:01
西武の監督に就任し、記者会見する広岡達朗(中央)。左は根本陸夫管理部長、右は宮内巌球団社長
「一番嫌だった」広岡監督の“誇張モノマネ”
広岡さんの雰囲気をひんやりとした空気と言いましたが、最大限に良く言うと「冷静沈着」、ちょっと良く言って「クール」、普通に言えば「冷徹」で、悪く言うとかなりの「陰湿」でした。
一番嫌だったのが、コーチと会話をしているときに織り交ぜるモノマネです。選手の欠点を指摘しているのでしょうが、直接「こうなっているぞ。もっとこうしろ」と言ってくれるのならまだいいのですが、あくまでもそのモノマネは、コーチとの会話の中でやるわけです。そして、それが実に特徴を捉えていて、しかもそれが誇張されていてうまいんです。観察眼の素晴らしさは認めますが、すぐにわかるだけに、やられるとこたえました。
それは私には陰湿に感じたのですが、フォローするとしたら、誰に対しても同じように接していた点はいいところでした。新人だろうが、ベテランだろうが、元メジャーリーガーだろうが、平等に陰湿な対応をしていました。
広岡監督退任…バスの中で選手たちが万歳三唱
ADVERTISEMENT
1985年の日本シリーズ終了後、確か選手全員で治療を兼ねた1泊の伊香保温泉旅行に出かけたバスの車中に「広岡監督は今年いっぱいでユニホームを脱ぐことになりました」と連絡が入ったんです。みんながワーッて大歓声を上げて、さらに万歳三唱したんです。今でもはっきり覚えています。
まあそれくらい、何か鬱屈した思いで野球をやっていたんですね。勝利、優勝の喜びはありましたが、日々の面白くないという思いは、またそれとは別にあったということなんです。私も「プロ野球って面白くないな」っていう気持ちだったので、一緒になって歓声を上げていました。
余談になりますが、2007年終了後に西武を退団して、NHKでお世話になることとなり、ワールドシリーズの取材に行かせてもらいました。当時のフィリーズの監督が、ヤクルト、近鉄で活躍したチャーリー・マニエルさんでした。
それで少し話す機会をもらえたので、「私も広岡さんから指導を受けたんです」と伝えると、「それは大変だっただろう」と言っていました。
さらに、マニエルさんは日本で広岡監督から何を学ばれましたかって質問すると「我慢することだ」と言っていました。かなりしごかれたんだと思います。 《第2回、第3回に続く》
『黄金時代のつくり方 - あの頃の西武はなぜ強かったのか -』(伊東勤/ワニブックスPLUS新書)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします
