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日本一から一転→西武会長から“ある電話”…激動期のライオンズを率いた伊東勤の告白「フロントとの関係がこじれて…」監督退任に“2つの事実”
posted2025/03/01 11:02

2007年、シーズン限りでの退任を表明した西武の伊東勤監督
text by

伊東勤Tsutomu Ito
photograph by
JIJI PRESS
◆◆◆
日本一から一転…西武会長からの“ある電話”
日本シリーズ優勝から1週間後、堤会長からチームを身売りすることになるという電話がありました。監督就任時には「10年やってもらう」という言葉をもらいましたが、西武ライオンズを取り巻く環境は、10年先はおろか、1年先のことも約束できない事態になっていたのです。
その堤会長は、2004年4月に総会屋利益供与事件の責任を取って西武鉄道の会長を辞任。
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日本シリーズの歓喜の瞬間と時を同じくするように、10月には証券取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載とインサイダー取引)の容疑がかかり、西武鉄道、親会社のコクド、西武ライオンズなど、西武鉄道グループすべての役職を辞任しました。
企業の「変調」は、西武鉄道グループだけのことではありませんでした。2000年代初頭の世界的な不況は、「世界同時減速」と呼ばれ、日本をリードしてきた多くの大企業がその波に飲み込まれ、経営改善を強いられていました。
2004年6月、オリックスが近鉄を吸収合併するという報道から、球界再編の動きが活発化します。7月、オーナー会議に参加した堤会長が、「第2の合併がある」と言及し、オーナー会議の議論が10球団1リーグ制に向けて進んでいることが伝わってきました。
その後、選手会によるプロ野球史上初のストライキがあり、さらに楽天の新規参入があり、どうにか12球団2リーグ制が維持されることになりました。
また、野球チームとしてはまさに黄金期を迎えていたダイエーが、本業の不調からソフトバンクに球団を身売りをしました。一代で巨大スーパーチェーンを築いた中内㓛オーナーも堤会長と同様にプロ野球界、経済界から姿を消していきました。
堤会長は罪に問われたのですから、すべてを礼賛してはいけないのでしょう。しかし、刑を済ませ、財産をなげうって賠償も完了させ、けじめをつけられました。
特に我々野球人、ライオンズの一員にとっては、本当に大切な方でした。大きな投資でチームを買収し、日本一強いチームにするという強い意志で、関係者全員を引っぱってくれました。野球だけでなく、あらゆるスポーツを支援振興し、豊かな社会にしてくれた功績は、いつまでもたたえられてよいと思っています。
自分の保身を考えたことなどありません
私はチームを指揮していて、自分の保身を考えたことなどありません。成績が悪ければ、責任を取らなくてはならないのだろうと考えていました。
自分にできるのは、与えられた戦力を鍛えて、力を発揮させることしかありません。今思うと、円熟期を迎えていた野手は、小関竜也や高木浩之らごく一部。細川、ナカジをはじめ、赤田将吾、G.G.佐藤、そしてまだ時間はかかりましたが中村剛也、栗山巧……と、当時は実績は乏しかったものの、将来に向けて鍛え甲斐のある選手たちが揃っていました。