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「あれが人生で最初の壁だったのかな…」なでしこジャパン・長谷川唯が語る“中学時代の挫折”「家に帰るのは夜10時過ぎという毎日」《NumberTV》
posted2025/01/30 11:07

なでしこジャパンの司令塔・長谷川唯がNumberTVで自らの「挫折地点」を明かした
text by

矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Wataru Sato
【初出:Number1112・1113号[挫折地点を語る]長谷川唯「人生を変えた“二つの逆境”」より】
気持ちが切れることはなかった
小学生の頃はいつも先発メンバーに入り、試合に出ないことはなかった。しかし、育成年代でトップクラスの実力を誇るメニーナで先発に食い込むのは至難の業。「メニーナに入ってからしばらくはベンチが続いて、練習試合では3本目で出ることもありました。先発で出られるようになったのは中学2年生の途中からでした」という。
とはいえ、まだ幼さの残るこの年代でも逆境をバネにできていたことが、資質の高さを物語る。試合に出られない悔しさこそあれ、高いレベルのチームでサッカーに没頭する毎日を楽しんでいたというのだ。
当時、埼玉県に住んでいた長谷川は、中学校の授業が終わると家族に車で迎えに来て貰い、最寄り駅から東京都内の練習グラウンドへ直行。夕方5時半から7時半までボールを蹴り、クラブハウスで食事をしてから帰途に就き、家に帰るのは夜10時過ぎという毎日を過ごしていた。
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「朝早く学校へ行って、放課後は年上の選手とサッカーをして、夜は満員電車に乗って家に帰って来ていました。今考えると厳しい生活をしていたなと思いますが、当時は練習に行くのが本当に楽しみでしたし、がむしゃらに頑張っていたなと思います。試合に出られなくても気持ちが切れることなく、あんなに一生懸命やっていたのはすごいなと思いますね。あれが人生で最初の壁だったのかなと思います」
目標はW杯制覇とチャンピオンズリーグ優勝
“挫折”を自らの力に変え、常に高みへの 挑戦を続けてきた。長谷川を見ていると“挫折”にはむしろプラスのエネルギーがみなぎっているようにすら感じる。 そんな長谷川が今、楽しみにしていることがある。25年から初の外国人監督としてなでしこジャパンを指揮するニルス・ニールセン新監督のサッカーだ。ニールセン監 督はマンチェスター・シティの女子テクニカルダイレクターとして長谷川と1年間ともにすごしたことがある、旧知の間柄。
「日本人選手ならではのプレーをすることやそのための戦術は大事ですが、それだけでは勝てないとも感じる中で、海外のいろんなチームや選手を見てきたニールセン監督の戦術は、自分たちにとってすごくポジティブだと思います。求めていた環境が整ったと感じています」
なでしこジャパンで女子W杯を制することと、UEFA女子チャンピオンズリーグで優勝することを目標としている長谷川。これからも目の前に現れる壁を成長の糧として前進していくに違いない。
<前編から続く>
【番組を見る】NumberTV「#13 長谷川唯 もう戻りたくない、あの1年。」はこちらからご覧いただけます。
