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「やはり悔しい思いがありました」なでしこジャパン・長谷川唯(28歳)が明かす“16歳の挫折”「負けず嫌いが自分の長所なんだと…」《NumberTV》
posted2025/01/30 11:06

なでしこジャパンの司令塔・長谷川唯がNumberTVで自らの「挫折地点」を明かした
text by

矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Wataru Sato
【初出:Number1112・1113号[挫折地点を語る]長谷川唯「人生を変えた“二つの逆境”」より】
輝かしい経歴だが…挫折の経験は?
イングランド女子スーパーリーグのマンチェスター・シティで活躍し、2023年から2年連続で女子バロンドール候補に選出された。なでしこジャパンでは押しも押されもせぬ中心選手としてチームを牽引。長谷川唯はその卓越したテクニックとプレーメイクで世界中から一目置かれているフットボーラーだ。
経歴は輝かしい。所属クラブを列挙すると、日テレ・ベレーザから21年1月にイタリアのACミランに移籍。半年後の21年夏にはイングランド女子スーパーリーグのウェストハムに移籍し、22年夏から強豪のマ ンチェスター・シティでプレーしている。代表歴も華麗。年代別の女子日本代表で3度の世界大会を経験し、なでしこジャパンではこれまでに女子W杯とオリンピックに2度ずつ出場している。大きなケガもなく、サッカー歴には曇りがない。果たして彼女に“挫折”の経験はあるのだろうか?
手探りで訊ねると、長谷川はまっすぐな視線のまま、「ここまでのサッカー人生を振り返ると二つあって、その一つはメニーナからベレーザへ上がるタイミングでした」と語り始めた。下部組織のメニーナからトップチームであるベレーザへ昇格するのは通常なら高校3年生のタイミング。だが、長谷川は高校2年生から飛び級でベレーザに上がっており、これでも十分に優秀だ。しかし、上には上がいた。同学年の土光真代(現INAC神戸)と籾木結花(現 レスター・シティ)が高校1年生で既にベレーザに昇格していたのだ。
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「幼なじみの土光選手と籾木選手が1学年上の隅田凜選手(現マイナビ仙台)と一緒に上がったんです。私は1年遅れでしたから、やはり悔しい思いがありました」
負けず嫌いが自分の長所
しかし、その思いだけで終わらせないのが長谷川だった。
「メニーナは中学1年生から高校3年生までいるチームですが、3人が一気に抜けたことで点を取る選手が減りました。それに、中心になる選手が抜けたので3、4人でやっていた役割を、自分1人でやらなければいけないことにもなりました」
いわゆる戦力ダウン。だが、この厳しい状況が長谷川を変えた。
「得点への意識が高まって、その年は一番多く点を取りましたし、自分がチームを勝たせるんだという気持ちでプレーすることができました。3人がベレーザに上がった時の悔しさがあったからこそ頑張ることができたと思いますし、負けず嫌いなところが自分の長所なんだと思います」
チーム力を上げるには年下の選手の能力も引き出さなくてはならない。その必要性からリーダーシップも身についた。
では、二つ目の“挫折”とはいつのことか。長谷川は「中学1年生から2年生の途中までの時期です」と言った。
<後編へ続く>
【番組を見る】NumberTV「#13 長谷川唯 もう戻りたくない、あの1年。」はこちらからご覧いただけます。
