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「他とは違う恐さがあった」“クイズの帝王”伊沢拓司が高校時代に最も恐れた相手は…?「全国模試No.1」北海道の公立校にいた“旭川の神童”の正体
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph by(L)Shigeki Yamamoto、(R)Shiro Miyake
posted2024/12/12 11:01
2010年の高校生クイズ優勝を足掛かりにクイズ王へと駆け上がった伊沢拓司(左)。同大会で伊沢が最も恐れたのが“旭川の神童”だった
重綱の目には、そういったチームには、背中を押す「見えない風」が吹いているように見えたのだ。
一方で、重綱はそれをネガティブには受け取らなかった。
出題の運もあったとはいえ、クイズの実力も全国ベスト8に進出する程度には鍛えられていることが分かった。あと1年あれば、もっと伸ばすこともできるだろう。そしてなにより、「高校生クイズ」の舞台には“風”があることも体験できた。その“風”を味方にできれば頂点だって見えてくるのでは――? そんな野望を持ったという。
「“知の甲子園”と言っても、基本はテレビのエンタメですから。何か推すポイントがあった方が残しやすいに決まっている。クイズの実力はもちろん大前提だけど、場を味方につけられればもっと勝てる可能性は上がる。“北の雑草魂”がキャッチフレーズじゃ、なかなか勝てないですよ(笑)」
しかも、である。
幸か不幸か、ちょうどこの時の旭川東にはそんな重綱の狙いを満たす男がいたのである。それが塩越希だった。
全国制覇の要となる“旭川の神童”の存在
大手予備校の模試で「偏差値全国1位」を獲得した“神童”がクイ研で、重綱の同級生に在籍していた。この年は重綱とは別チームで大会に出場していたのだが、このチャンスを逃す手はない。
年が明けた頃、3年目の高校生クイズを目指すため、重綱はすぐに塩越に頭を下げた。
「今年の高校生クイズ、一緒に出よう。塩越がいれば日本一だってなれるかもしれない」
きっとテレビは、肩書きとして塩越の“全国模試1位”を前面に出してくれるはずだ。そうすれば、きっと自分たちに風を吹かせてくれる。“神童が率いる地方公立の星”が紡ぐ物語――それは、間違いなく舞台に残す価値があるはずだ。
もちろん当時、クイ研のエースでもあった塩越と一緒に大会に出たい部員も多くいた。当然、エースと一緒に出られれば勝率はあがるからだ。だが、塩越もこの重綱の説得には心を動かされたという。
「そうやって『テレビに出た時にどう映るか』とかを考えているのが、シンプルに興味深いなと。たしかにそういわれれば納得できる理由でもありました」
そうして文系だった2人の苦手分野を補う形で、2年生の理系部員を加えた3人で、高校生活最後の大舞台へ挑むことになった。