格闘技PRESSBACK NUMBER
木村“フィリップ”ミノルの逮捕に思う「格闘技のイメージは過去最悪」なぜ醜聞があとを絶たないのか? しわ寄せは“大多数の真面目なファイター”に
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2024/10/14 17:01
大会出場2日前に大麻取締法違反の疑いで逮捕された木村“フィリップ”ミノル。いま、多くのスキャンダルが格闘技界に悪影響を及ぼしている
「強くなること」よりも優先される“カネと知名度”
かつて格闘技は「暗い・汚い・怖い」の3Kのイメージがまとわりつくジャンルだった。80年代、大学生だった筆者が後楽園ホールに氷河期時代のキックボクシングを観戦しに行ったときのことだ。5階まで昇ったエレベーターが開くと、目の前には親分の到着を待つ若い衆が両脇に並んでいた。「おつかれさまでございます!」の大合唱とともに深々と頭を下げられ、任侠映画の中にいきなり飛び込んでしまったようで肝を冷やすしかなかった。
90年代に入ると、会場内での「怖い体験」は次第に減っていく。それは地上波で再び格闘技の実況中継が始まったことと無関係ではあるまい。かつて不良だった者も格闘技をやっていくうちに更生し、多少はヤンチャな雰囲気を残していたとしても、礼節をわきまえた“いっぱしの選手”になる。少なくとも昭和や平成において、そういった流れは当たり前だった。魔裟斗など、その最たる例だろう。
もっとも、最近は「格闘技を通じて更生する」というストーリーが主流とは言い難い。成長過程の段階で、以前の自分には想像もできない知名度や収入をいきなり得ることで、傍若無人な振る舞いをエスカレートさせてしまう者もいる。
かつて格闘技は「強くなること」が何よりも最優先されていた。知名度やお金は、強くなったあとから自然とついてくるものだった。しかし、いまはどうか。強くなる前に分不相応な名声や財産を手にしたら、胡坐をかいてしまう者が出てくるのも必然かもしれない。格闘技の価値観の腸捻転。「そこまで強くならなくても、有名人になって莫大な報酬を得ることができたらいい」と開き直られたらそれまでだが、なぜギリギリのところで自分をコントロールできないのだろうか。
SNSを利用して自分をPRすることを否定するわけではない。『FIGHT CLUB.2』の繰り上げメインイベントでKO勝ちし、プロキックボクシングにおける連勝記録を14に伸ばしたYURAのように、BreakingDownのような舞台からホンモノが出てくることも時代の流れとして肯定すべきことだろう。しかし、強くなることを忘れた格闘家に未来はない。