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「バレー界のゴクミ」と呼ばれ…17歳で五輪候補に選ばれた元日本代表・斎藤真由美が感じた「知らない人が自分を知っている」という怖さ―2024年上半期読まれた記事
posted2024/09/30 11:02
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
L)AFLO、R)Miki Fukano
2024年の期間内(対象:2024年5月~2024年8月)まで、NumberWebで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。インタビュー部門の第1位は、こちら!(初公開日 2024年7月25日/肩書などはすべて当時)。
◆◆◆
15歳という若さで実業団バレーボールの世界に飛び込んだ斎藤真由美さんは、その後、日本代表にも選出され、スター選手への階段を上り始めた。
しかし、それは決して順風満帆な道ではなかった。
イトーヨーカドーに入社し、第二のバレーボール人生をスタートさせたが、15歳での実業団入りには“偏見”もあったと振り返る。
「斎藤は世の中の厳しさをわかってない」
「片親だから教育ができてない」
そんな陰口が耳に届くこともあった。
17歳で五輪候補選手に…巻き起こった大フィーバー
当時はバレーボールの強豪校から実業団入りするのが当たり前で、異例の入団だった斎藤さんはそれだけで周囲から冷ややかな目で見られたという。
「もちろんプレーや選手のレベルは高いのですが、わたしがイメージしていた“大人のスポーツ”の世界とはやはり違っていました。『やっぱりここもそうなんだな』と落胆はしたけれど、1回、高校中退という形でバレーボールから遠ざかり、この世界に戻ってきた以上、じゃあまた辞めますというのは違うと思い、誰にも何も言わせない選手になるしかないと決意しました。結果を出して、この指導方法は間違っていると言えるようになるしかないと覚悟を決めましたね」
こうしてプレーを磨き、試合で結果を出すことで、日本代表からも声がかかるプレーヤーへと成長した。
イトーヨーカドーで着々と結果を出した斎藤さんは1988年、17歳でソウル五輪の候補選手に選ばれる。同年のNHK杯で国際大会デビューを果たすと、日本で開催された『ワールドカップ1989』にて大活躍。可憐な容姿とキレのあるプレーで一躍、時の人となった。
「もともと全日本入りを目指し、オリンピックに出たいと思っていた選手には大変申し訳ないんですけど、わたしはそこを全然目標にしていなかったんです。バレーボールを楽しみたいという思いから始まって、負けたくない、強くなりたいという気持ちでプレーしていた通過点が実業団であり、日本代表でした。代表で貴重な経験をさせていただいたのは確かですが、おそらく最初は誰も期待してなかったと思いますし、わたしも『期待に応えよう』という気もなかったので(笑)。プレッシャーで押しつぶされるようなこともなかったですね。『誰も期待してないんだから精いっぱい楽しもう』って」