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<龍角散presents エールの力2024⑥>秋田ノーザンハピネッツの田口成浩は、勝負の行方を左右する「声援の怖さ」を知っている。
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAKITA NORTHERN HAPPINETS
posted2024/09/20 11:00
「体のコンディションと気持ちと会場の雰囲気がひとつになるとゾーンに入って、何でもできるという感覚になります。ただ、ゾーンの時は声がほとんど聞こえていないんですけどね」
田口が経験した最大の「ゾーン」は2016年5月にあったbjリーグの3位決定戦。京都ハンナリーズを相手に3ポイントを11本打って9本成功、計35得点を挙げた。リバウンドでもフル稼働して勝利に貢献。有明コロシアムに集まった秋田のブースターがお祭り騒ぎになったという伝説の試合だ。
バスケットボールと言えばフリースローを打つときに浴びるブーイングもお馴染みだ。田口はこれまでのプロ生活の中で2度、ブーイングに屈した経験がある。
「1度目は2012年に初めて沖縄に行って琉球ゴールデンキングスと戦った時。琉球のブースターには指笛があるんですよ。今ではもう乗り越えていますが、最初は、『あれ? どうやってシュート打つんだっけ?』という感じになって、指の感覚がなくなりました。びっくりでした」
そして、田口が「過去一番のブーイング」というのは千葉ジェッツに移籍し、初めて秋田に戻ってきた2018年12月22日の試合だ。フリースローラインに田口が立った瞬間、聞いたことのない大ブーイングに鼓膜が震えた。
「あの時はやばかった。地鳴りを食らいました。あれが一番です。でも、後で映像を見ると観客席が楽しんでいる感じだったので、それについては良かったなと思いましたね。僕がブーイングの影響でフリースローを落としたのは琉球戦と千葉J時代の秋田戦。それ以外の失敗は技量の問題です」
富樫勇樹に掛けられた言葉
長いキャリアの中では周囲から掛けられた言葉に救われたこともある。
秋田から千葉Jに移籍して1年目の2018年。開幕からの2試合(川崎ブレイブサンダース戦)で、コートに立ったのがわずか18分、3得点という厳しい現実に焦りを感じている中で迎えたホームでの三遠ネオフェニックス戦。田口は千葉Jに加入して3試合目で初めてプレータイムゼロに終わった。
元々は野球部で腕を磨いていた田口がバスケットボールを始めたのは高校1年生の時。以来、つねに周りが驚くような成長曲線を描いてきたが、ケガもしていないのに出番を与えられなかったのは人生初の出来事だった。秋田時代からの連続出場記録も途絶えた。茨の道だということは分かったうえでの強豪への移籍だったが、屈辱と悔しさで心がズタズタになった。
試合終了後のミーティングを終えると、田口はすぐさまコートに戻り、泣きながらシュート練習をした。試合に出ていないからユニホームは乾いていた。涙だけがユニホームを濡らした。
振り返ると富樫勇樹がいた。富樫は2013年1月から約1年半にわたって秋田でプレー。NBAでのプレーを経て2015年に千葉Jに加入し、スター街道をのし上がっていた。
「飯行くぞ」
富樫に誘われ、市内の焼き肉屋に行った。へこんだ様子で焼き肉を焼いていると、富樫にこう言われた。