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<龍角散presents エールの力2024⑥>秋田ノーザンハピネッツの田口成浩は、勝負の行方を左右する「声援の怖さ」を知っている。
posted2024/09/20 11:00
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
AKITA NORTHERN HAPPINETS
日本有数のバスケットボールどころ・秋田に本拠を置くBリーグ・プロバスケットボールクラブの秋田ノーザンハピネッツ。チームの顔として活躍するのがベテランの田口成浩だ。
「おいさー!」の掛け声でお馴染みのエネルギッシュなシューティングガードは「バスケットボールで声の力は大きいですよ。特にここは秋田。ブースターが熱狂的で、目が肥えていますから」と実感を込めて言う。
田口が初めてブースターの威力を感じたのは12年前のことだ。2012年2月。富士大学からアーリーエントリーで秋田に入った田口は、いきなり足が震えるという経験をした。
デビューはアウェーの信州ブレイブウォリアーズ戦。1戦目は2、3分ほどのプレータイムだったが伸び伸びとプレーすることができ、特に2戦目は3ポイントシュートを5本決める大活躍。すると、当時の中村和雄ヘッドコーチがホームに戻ってきた最初の試合で先発として起用した。
田口はここで異変を感じた。試合開始直前のこと。アウェーでは何も感じなかったのに突然、身体にグーッと力が入り、文字通りブルブル震え始めた。力んでいたのは明らかだった。田口は自滅した。
「アウェーでは3ポイントを5本決めて『お前、誰だ?』みたいな感じになったのに、ホームでスタメンで出たら力んでしまって気持ちと体が全くバラバラ。シュートも短いし、全然決まりませんでした」
しかし、これを境に本領を発揮していったのが田口らしいところ。
「僕はお祭り男。その場を楽しめる能力があると自負している。『おいさー』の感覚でいけばいいんじゃないかという変なノリで、次からの試合を乗り切っていきました」
秋田は日本スポーツ史に残る伝説のモンスターチーム・能代工業高(現・能代科学技術高)を生み出した県だ。秋田のブースターには圧倒的な熱量とバスケットボールについての知見、そしてプライドがある。秋田にやってくる選手たちはその中でもまれ、転がされるうちに無骨な岩石から玉へと磨き上げられていく。
「コロナ禍前は本当に地鳴りのような、揺れを感じるほどの声がありました。僕らにとっては一気に乗れるような声援ですが、ルーキーや緊張しやすいタイプの選手にとっては最初はプレッシャーになることもあります」
これは田口自身を含め、多くの選手が経験することだという。
「でも、ひとたび緊張の境界線を超えると、サーフィンのようにスムーズに進んで行けるんですよ」
声援がないとアドレナリンが出ない
コロナ禍の時期には、声援の重要性を身をもって実感した。
「声援のない試合では『アドレナリンってこんなに出ないんだ』と戸惑ってしまいましたし、アドレナリンが出るまでに時間がかかるので自分で高めていかなくちゃいけない。コロナの時期を経験して、声援があるからこそ、よしやってやるっていう気持ちになるんだなとあらためて感じました」
声援を全身に浴び続けることで、「ゾーンに入った」と感じることもある。