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石川祐希、西田有志、高橋藍…「今の日本代表と一緒にやってみたい」“海外移籍のパイオニア”加藤陽一(48歳)が語る日本バレーの20年《パリ五輪BEST》
posted2024/08/16 11:01
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph by
Yuki Suenaga
<今から22年前、日本バレー界から飛び出し、イタリアやギリシャ、フランスに挑戦したバレーボーラー加藤陽一。当時の記憶を遡ると、日本代表監督フィリップ・ブランとの意外な巡り合わせがあった。海外移籍のパイオニアが、石川祐希らを中心に急成長を遂げる日本代表への思いを明かした。>
フランス時代にブラン監督と練習
――イタリアとギリシャを経て、2004年1月に仏リーグのクラブ「アラゴ・デ・セテ」に移籍しますね。
加藤 南フランスのチームだったんですけど、そこでフランス流のバレーボールにも触れることができました。当時の監督はチェコの方だったんですけど、実はアラゴ・デ・セテでの練習に、今の日本代表監督のブランさんが参加することがあって。一緒に練習したことをよく覚えてるんです。
――詳しく聞かせてください。
加藤 ブランさんは当時フランス代表の監督をされていて、僕たちと(クラブチームと代表の垣根を越えて)練習試合をよくやったりしたんですね。彼が近くに住んでいたということもあって。(※近郊の都市モンペリエ出身のブランは2000-01年シーズンにはアラゴ・デ・セテの監督を務めていた)
それで、「君は日本人だからレシーブは上手いだろう」「レシーブを10本連続で取るまでやるぞ」みたいなことを言われて指導を受けてたのを覚えています。
――現在、指導者になられた加藤さんが影響を受けた監督というと誰でしょう。
加藤 やはりトレヴィーゾ時代の(ダニエレ・)バンニョーリ監督が一番に来ますね。世界トップクラスの面子を操りながら、チームを勝たせていった。
それから、ペルージャ時代のフェルディナンド・デジョルジ監督。今はイタリアの男子代表チームを率いてますね。フランスの後(2004-05年シーズンに)もう一度セリエAでプレーしたときの監督ですが、彼の指導は本当に細かいんですよ。
セッター出身なので戦術や戦略に厳しくて、“試合のための練習、勝つための練習、それ以外は無駄”という考えが徹底していました。練習では「なぜ今、このプレーをしたのか」と選手に問いかけてくるんです。スパイクの助走を開く位置にも「おまえはサーブレシーブしてからスパイクを打つだろう。なぜ最初にコートの外にいるんだ」という具合に、あらゆる動作の意味を問われる。実際のゲームで1点をとるために何をすべきか、選手に考えさせるんです。
バンニョーリとデジョルジ、彼ら2人は海外で巡り会ったすばらしい監督ですね。