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柔道大国フランスは「超アウェー」だった? 帰国会見で聞いてみたら…阿部一二三、永瀬貴規らが現地の柔道人気に感じた「意外なホンネ」 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byNaoya Sanuki/JMPA

posted2024/08/08 17:00

柔道大国フランスは「超アウェー」だった? 帰国会見で聞いてみたら…阿部一二三、永瀬貴規らが現地の柔道人気に感じた「意外なホンネ」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/JMPA

最近欧米のスポーツ現場でよく見かける「巨顔パネル」を振って応援するフランスの大観衆。後ろの人は見えるのだろうか

 フランスで柔道が本格的に広がり出したのは1935年、兵庫県出身の柔道家である川石酒造之助(みきのすけ)氏の普及によるものとされる。現在の競技人口は日本の約12万人に対して、フランスは4倍以上の約55万人。特に日本では少子化に伴って柔道が小中学生に馴染みのない競技となっているなかで、フランスでは基礎的な体力作りの一環として子どもたちが取り組みやすいスポーツの一種となっていることは、将来的にさらに大きな違いを生み出していくと見られる。

フランスの五輪で柔道ができた幸せ

 現地では日本人選手の知名度も高く、会場のスタンドや街角でも声をかけられることが多かった。日本代表の選手団が帰国の途につくパリのシャルル・ドゴール空港では、温かい光景が広がっていたという。それは、フランス人の一般客や、警備に立っていた警察官までもが、日本の選手たちの名を呼び、好意を示し、記念撮影やサインを求める姿だった。

 女子日本代表の増地監督が振り返る。

「柔道の選手だということをみんなわかっているんですよ。警官も『一緒に写真を撮ってくれ』と話しかけてきたのには驚きました。会場の雰囲気にしても、おそらく4年後のロスではああいう風にはならないでしょう。

 やっぱりフランスで行われるオリンピックで柔道ができるというのは本当に特別なことでした。今回行かれた選手は幸せだったと思いますよ。私ももし現役だったら、ああいうところでやりたいな、と思いますから」

 4年に一度注目を浴びる“五輪競技”としてではなく、日本における野球やサッカーのような人気スポーツとしての熱狂に彩られたパリ五輪の柔道競技。テレビ中継の画面越しにも伝わった興奮と歓声、歌声は、お茶の間のファンには憎たらしいほどの“アウェーの洗礼”にも映ったが、只中で戦った選手たちは全く違う感情に揺さぶられていた。アスリートとして、柔道家としての誇りを再確認する、まさに「最高の景色」として記憶に焼きついたのだった。

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