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“慶應ボーイ”ハードラー・豊田兼(21歳)が「195cmの超フィジカル」と「緻密な計算」でパリ五輪内定…「イチかバチか」攻めの決断で見せた圧勝劇
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byYuki Suenaga
posted2024/06/29 17:04
日本歴代3位の好記録で400mハードルでパリ五輪を決めた慶大4年の豊田兼。規格外のフィジカルも含め、世界の舞台での大躍進も期待される
イチかバチか――豊田がそう話すレース運びは、前半から積極的に飛ばすというものだ。
今季好調の豊田だが、48秒36の自己ベストをマークした5月19日のセイコーゴールデングランプリも、48秒62の好記録だった今大会の予選も、前半は抑えめに入っていた。しかし、5月3日の静岡国際では前半から突っ込むレースを試して、五輪代表の座を争う筒江海斗(スポーツテクノ和広)に敗れていた。「前半突っ込むと後半に耐えられる足がない」と以前に話したことがあった。
世界を見据えた「前半から飛ばす」決断
ところが、勝てばパリ五輪が決まる大舞台で、守りに入ることなく、攻める決断をした。確実にパリ行きを決めるには安全策をとる選択肢もあったはずだが、それをとらなかった。
走る前までは当然怖さもあったという。前半から飛ばすことにしたのは世界で戦うことを見据えたからだった。
「もしパリオリンピックに出場するとなった場合、前半から飛ばすレースを試す機会がないので、この決勝の舞台が絶好のタイミングだと思って、前半を飛ばしました」
攻めのレースをしても「思いのほか前半に余力があった」と言う。後半に入るとその力はより際立って見えた。2位の小川大輝(東洋大)も48秒70の自己ベストで、五輪参加標準記録に到達しており、ライバルたちも決して遅かったわけではない。
また、その果敢なチャレンジは決して“無謀な”ものだったわけではなく、緻密な計算の上で成り立ったものだった。
ハードルを跳んだ後の着地の瞬間を基にした各ハードル間のタイムをタッチダウンタイムというが、ウォーミングアップ時に3台目までハードルを跳んだ際のタイムが3秒67ぐらいだったという。
「それはちょっと速かったので、予選よりは速く、アップよりは遅くという幅を考えながら走りました」
走力はもとより、100分の1秒単位で修正する研ぎ澄まされた感覚が、絶妙なレースを実現させたというわけだ。