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長谷部誠24~26歳「結局は自分次第。社会のせいにするなよと」「マガト監督のサッカー観には…」ドイツ挑戦で“まだ青い”けど芽生えた主将の資質

posted2024/05/30 11:10

 
長谷部誠24~26歳「結局は自分次第。社会のせいにするなよと」「マガト監督のサッカー観には…」ドイツ挑戦で“まだ青い”けど芽生えた主将の資質<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2008年、日本代表の主力に定着した頃の長谷部誠(当時24歳)

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NumberWeb編集部

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Takuya Sugiyama

日本代表、そしてドイツ・ブンデスリーガでもレジェンドとなった長谷部誠。40歳で引退した彼はドイツに渡った直後の20代中盤に、どんな言葉を残していたか? 雑誌「Sports Graphic Number」「NumberWeb」掲載記事から紹介します。

<名言1>
今からでも代表選手全員を僕が海外に連れて行きたいくらい。
(長谷部誠/Number732号 2009年7月2日発売)

◇解説◇
 長谷部は2002年、藤枝東高校から浦和レッズに加入。1年目はハンス・オフト監督の方針でチームに同行しながらプレータイムが与えられない時期が続いたものの、それを反骨心に変えて2年目以降に飛躍。2006年のJ1優勝、07年のACL制覇、05・06年の天皇杯連覇などチームのタイトル獲得に貢献した。

 そして08年1月にブンデスリーガのボルフスブルクに移籍。ここから長きにわたるドイツ生活が始まった。

 24歳になるシーズンでドイツに渡った長谷部を待ち受けていたのは、「岩のようなヤツら」による強烈なボディコンタクトだった。

 しかし「勝てずとも、負けなければ、強い気持ちをかぶせていけば、技術を活かすことができる」と精神力の重要性を再認識したという。「気持ちの部分をもっともっと日本のサッカー選手は変えていかないと」と、ドイツに適応したからこその熱いメッセージを送っていた。

結局は自分次第。社会のせいにするなよって

<名言2>
選手がエゴや個性をぶつけ合わないチームは強くなれない。
(長谷部誠/Number755・756・757号 2010年6月3日発売)

◇解説◇
 長谷部は2006年のジーコジャパン初招集から、イビチャ・オシム、岡田武史、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァイッド・ハリルホジッチ、西野朗と数々の日本代表監督から招集を受けてきた。

 そんな彼がレギュラーの地位を固めつつあったのは岡田監督体制の時期で、ドイツ移籍を果たしてクラブでも代表でもキャリアアップの真っただ中にあったと言える。

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