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あの星稜が…松井秀喜の時代から激変した“野球部”「大会中スマホ自由」「ミーティングに監督不参加」名将の息子・山下智将監督が語る実情
posted2024/03/23 11:05
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
KYODO
「うちも本当に変わりましたからね」
――慶応が勝ったことで高校野球の指導方法等の変化が、一段と加速してきているような感じを受けませんか。
山下 うちも本当に変わりましたからね。私自身、高校時代は父(智茂=1967年から2005年まで監督)が監督で、やっぱり厳しかったし、怖かったですから。父の時代は「はい」しか言えませんでしたしね。間違ってるなと思っても「はい」でした。当時は、自分には監督なんてできないし、絶対に向かん仕事だなと思っていました。父にどこか遊びに連れて行ってもらった記憶もないし、負けたら家でも機嫌悪いし。本当に勘弁してほしいと思っていました。
――なのに今、こうして母校の指揮をとっているわけですね。
山下 なんなんでしょうね。1つ強烈に覚えているのは、2年生のときは甲子園に行ったんですけど、キャプテンだった3年生のときは行けなくて。それがすごく悔しかった。もう一度行く方法があるとしたら指導者しかないなと思ったんです。それはめちゃくちゃ覚えてます。それがきっかけで教員免許を取らなきゃと思ったんですよね。
松井秀喜の時代から…何が変わった?
――一昨年夏から代行として監督を務め、昨年4月に正式に監督に就任しました。どのあたりを意識してチームづくりを進めてきたのですか。
山下 あるインタビューで「監督としてどんな色を出していきたいですか」と聞かれたので「私の色はあんまり出ないようにしたい」と答えさせてもらったんです。むしろ選手個々の色が出てくるような、それをサポートするような立ち位置でいたいと思っているので。チームって毎年、変わるじゃないですか。バッティングが好きなチームもあれば、守備が得意なチームもある。明るいときもあれば、真面目なときもある。そのときどきで指導者の声のかけ方とか、立ち居振る舞いとかも変わってくるのかな、って。林(和成/元監督)先生の野球を引き継ぎながらも、星稜はこういうチームだからこういう風にしなさいみたいな感じにはしたくないんですよね。
――監督になったら、やはりお父様に似てくるところもありますか。