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あの星稜が…松井秀喜の時代から激変した“野球部”「大会中スマホ自由」「ミーティングに監督不参加」名将の息子・山下智将監督が語る実情
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKYODO
posted2024/03/23 11:05
センバツ初戦を制した石川・星稜
山下 ないですね。父は大黒柱となる投手をつくって、守備からリズムをつくるという野球でした。でも林先生がバッティングのチームをつくりたいと、ものすごく打撃にこだわったチームづくりをした。部長としてサポートしていた僕もそこは賛同していました。ピッチャーも何枚もつくって、継投でいきますし。あと、僕らの代とかだと、メンバーとメンバー外がはっきりわかれて練習をしていました。バッティング練習をほとんどしないまま引退した同級生もいたぐらいです。林先生はそこもすごく悩んでいて。今は最後まで選手同士がメンバー争いをできるような環境に変えました。女子マネージャーを採用したのもそのひとつなんですよ。今までは選手の中から男子マネージャーを決めていたんですけど、それはイコール、選手を諦めろということになってしまうので。そこも昔と大きく違うところだと思います。
ミーティング“監督不在”で全国制覇
――林さんもそうでしたけど、山下さんも、いい意味で、いわゆる監督っぽさがないですよね。
山下 そう言ってもらえると最高に嬉しいですね。それでいいです。僕、高校野球の監督が甲子園で何勝したとかもまったく興味がないんですよ。あれ、好きじゃないんです。
――昨秋の明治神宮大会では、松井さん在籍した1991年以来、32年振りの優勝を果たしました。あの大会ではミーティングをすべて選手に任せたということが話題になりましたよね。
山下 実は、いろんな理由があったんです。神宮大会って在学中に2回しか出るチャンスがない。生徒たちは東京に行く機会もなかなかないので、あまりガチガチに縛らずに東京の街並みとかを見て、何かを感じてほしいというのもありました。あとはどの高校も2つの宿舎のうちいずれかにまとまって泊まっているので、相手校を分析するスペースなどを確保するのも難しくて。
――どこに泊まっていたのですか。