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高3で初代表…高橋藍の恩師が予感した“石川祐希の対角に立つ未来図”「2人が争うイメージはなかった」《高橋藍ができるまで#2》
posted2023/10/06 11:03
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Newspix.pl/AFLO
ポケモンカードにつられてバレーを始めた高橋藍だったが、やがて日本代表やオリンピックに憧れを抱くようになり、中学では自らの意志でバレー部を選んだ。
そして、兄・塁の後を追って強豪・東山高校へ進むと、1年生でレギュラーを勝ち取り、エースだった塁とアウトサイドの対角を組んだ。
高橋は当時をこう振り返る。
「ライバルとは違うんですけど、常に塁よりも上に行きたかったというのは間違いなくて。塁が先に結果を出していく分、親が塁を褒めているのを見ると、『自分もできるし』という悔しい気持ちがありました。負けず嫌いなので。常に自分の前でやってくれている塁は、一番近くの超えたい目標であり、尊敬して、真似をした選手でした。いいお手本が近くにいたというのはすごくでかいことだったのかなと思います」
東山高校でも幸運な出会いに恵まれた。石川祐希が中央大学に在籍時、監督としてその育成に携わった松永理生が、東山高のコーチ(現在は監督)に就任したのだ。松永は石川たちに課していた練習や知識を惜しみなく還元した。松永はこう回想する。
「石川と似ているなと感じました」
「藍は、『石川さんってどんなことやってましたか? どういう練習してましたか?』と貪欲に聞いてきましたね。だから『こういうふうにブロックが3枚ついてもこんな決め方してたよ』とか『むしろ楽しんでやってたよ』、『勝負どころはギアがパーンと上がるよ』というような話をしたりして。藍も代表に入りたいと言っていたので、じゃあそういう選手にならないといけないよね?と求めたし、それを嫌がっていなかった。すごく向上心や探究心を持っている子で、そういう部分が石川と似ているなと感じました」
東山高はもともと守備練習を重視していたため、高橋の守備力はさらに磨かれた。特にサーブレシーブをしてすぐに攻撃に参加する一連の流れを毎日繰り返し体に染み込ませていた。
松永はその頃、すでに日本代表のエースとなっていた石川の対角に高橋が入るイメージを描きながら指導していたという。