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《高橋藍ができるまで#1》バレーを始めた兄が驚いた弟・藍の“特別な才能”とは? 巨人スカウトに注目された父「次男にはホームランの“ラン”を…」
posted2023/10/06 11:02
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Yuki Suenaga
まるで彗星のごとく――。高橋藍(日本体育大学)の登場は、それほどのスピードと衝撃を伴うものだった。
「石川祐希(パワーバレー・ミラノ)さんという大エースがいて、その裏を誰が務めんねん?と思っていたら、まさかの藍だった。スーッと入って、『もう藍でしょ』みたいな感じになっていました」
そう振り返るのは、藍の2歳年上の兄・塁(サントリーサンバーズ)である。一番身近な家族でさえ予測不可能だったスターダム。2021年に開催された東京五輪で、主将でエースの石川の対角を務めたのは、その年代表デビューしたばかりの高橋藍だった。19歳での五輪出場は、日本男子バレー史上最年少だ。
それから2年。イタリア・セリエAでのキャリアも加えた高橋は、攻守両面で日本に欠かせない存在となっている。
高速成長を可能にしたのは、「人にできることは、必ず自分にもできる」という、高橋の根底を貫く信念だ。
「もともと、イメージしたものや、見たものを真似するのは得意でしたね」と爽やかに微笑む。
「だから、人がやれていることは、コツさえつかめば自分もできるんじゃないか、練習すればやれるんじゃないかと思っていて、実際にそれがすぐできていたタイプでした。これを言ってしまうとなんかあれですけど、運動神経がよかった分、そういうことができたので、そんなふうに考えられるようになったのかなと思います」
兄・塁も驚いた「コピーする力」
高橋の父はかつて野球に打ち込み、高校時代はエースで4番。巨人のスカウトが見にくるほどの有望株だった。
今でも、「野球のことになると人が変わる」と家族が口を揃えるほどの野球好きで、長男には一塁、二塁の“塁”、次男にはホームランの“藍(ラン)”と、野球にちなんだ名をつけた。
母によると、塁という字には“大きな砦”という意味もあるため、「強くたくましい子に育ってほしい」、藍の字には「誰からも好かれる優しい子になってもらいたい」という願いも込められているという。
「それに、(母の父はアメリカ人で)欧米の血も入っているので、海外の人にも親しみやすい名前がいいかなと思って」
母も、怪我で競技は諦めたものの高校時代はソフトテニスで近畿大会に出場した経歴を持つ。両親の身体能力は塁、藍ともに受け継いでいたが、塁から見ても藍は特別な才を持っていた。
「僕はどちらかというと、見て、やってみて、『あ、こうやな』と考えながらできていくんですけど、藍は最初から、見たものをすぐにコピーできるという感じでした」