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高3で初代表…高橋藍の恩師が予感した“石川祐希の対角に立つ未来図”「2人が争うイメージはなかった」《高橋藍ができるまで#2》
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byNewspix.pl/AFLO
posted2023/10/06 11:03
2023年ネーションズリーグ表彰式の様子。キャプテン石川祐希(右)と共に銅メダル獲得に貢献した
「僕が最年少で選ばれて出場した一方で、ずっと代表で戦ってきたベテランの方がオリンピックで戦えなかった。東京五輪の1年延期というのは、自分の中では力を伸ばせる期間が増えたとポジティブに捉えていましたが、2020年に焦点を合わせてやっていた方々にとっては、すごくダメージが大きくて、人生が変わることにつながった部分もある。だから選ばれた自分は本当にやらないといけないという大きな責任を感じていました。期待されているところで、しっかりと力を発揮しないといけない、こうやって選ばれたことに本当に感謝しないといけないという気持ちが、東京五輪では強かったです」
高3の春高優勝から高橋の運命は大きく動き出し、19歳で東京五輪に出場。そして今は、次の夢である「パリ五輪でのメダル獲得」に向けて突き進んでいる。
弟の活躍に、兄が涙した理由
一方で、あの春高優勝は、スタンドから見守っていた兄の塁にとっても、分岐点となっていた。塁はこう振り返る。
「あの時はいろんな感情がありました。僕が高3で藍が高1の時から、もう同じぐらいのレベルだったので、この先もっと化けて、バーッと行くやろなと思っていたんですけど、想像をはるかに超えて、春高優勝。純粋に母校が優勝したのは嬉しかったし、藍が活躍したのも嬉しかった。でも『越されたな』という悔しさもあったし、当時大学2年だった僕は膝を怪我していたので、『自分は何してんねん』という感情もあって、最後はなぜか泣いていました(苦笑)」
その後、藍は日本代表に招集され、あっという間に人気と実力を兼ね備えたトップ選手となった。
塁は日大を卒業後、Vリーグのサントリーサンバーズに入団した。
「藍が大学1年ぐらいまではちょっと嫉妬はありましたけど、今はまったくないですね。日本代表のあんなに上まで行っちゃったんで、頼もしいというか。純粋に応援しているし、一緒にバレー界を盛り上げたいな、と」
ただ、怪我で出遅れたこともあり、2022-23シーズンのVリーグでは一度も出場機会がなく、もどかしさも抱えていた。
今年5月の黒鷲旗で初めてサントリーで公式戦に出場し、サービスエースを奪うなどの活躍を見せた後、「(試合に出られなくて)すっごい悔しかったので、やっとです。『お、塁やるなー』というのを、試合で、お客さんもそうですけど、チームメイトにも、初めて今日見せられた。できるんやぞというのをアピールしたかったので、よかったです」と思いがあふれた。
「藍が活躍し出してから、『塁くん』と言われるより、『藍くんのお兄ちゃん』と言われることが増えました。自分の場合はプレーで知名度が上がったというより、藍が活躍したことで知名度が上がったので、そこに自分のプレーを持っていかないといけないというプレッシャーもあって、昔みたいに『楽しい』という感じではバレーボールをできていない。でもそうやってちょっと悩んでいた時に、サントリーの先輩の喜入(祥充)さんが、『そのポジションはお前にしかできないし』という話をしてくれて、救われました。今は、藍が頑張っているから、僕も頑張れます」
兄も、コートの中に自分の居場所を築くため、前に進み続ける。
(続く)
《第3回では、イタリア移籍後の成長、そして高橋藍本人が先駆者・石川祐希への想いを明かしている》