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《高橋藍ができるまで#1》バレーを始めた兄が驚いた弟・藍の“特別な才能”とは? 巨人スカウトに注目された父「次男にはホームランの“ラン”を…」
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byYuki Suenaga
posted2023/10/06 11:02
パリ五輪の出場権を懸けて奮闘するバレーボール日本代表・高橋藍(22歳)
チームは1、2年生のグループと3年生以上のグループに分かれていたが、理解力にも優れていた藍はすぐに3年生以上のグループに混ざるようになった。
塁は4年生になる頃にはすでにチームのエース。6年生以外のメンバーがエースを務めるのは初めてのことだった。藍は小柄だったため当時はレシーバー。小学生バレーはローテーションがないため、ひたすら後衛で拾いまくった。
高橋が東京五輪で先発に抜擢された一番の理由は守備力だった。日本のアウトサイドはまず海外選手の強力なサーブに慣れるのに苦労するのが常だったが、高橋は東京五輪の約2カ月前のネーションズリーグで国際大会にデビューしたばかりにも関わらず、対応できた。なぜ若くしてそれほどのサーブレシーブ力を身につけられていたのかと聞くと、こう答えた。
「バレーを始めた時からレシーブが好きだったし、得意でした。小学生の時は身長が高かったわけではないので、レシーブをしなきゃいけなかったですし。ずっと塁が打って、僕が拾うという形でしたね。塁がバレーを好きすぎて、2人で遊ぶ時は常にボールを触っていた。練習が終わって家に帰ってからも、塁がうるさいぐらいに『藍、バレーしよう!』と言ってくるので、公園に行って自分たちでネットを作り、塁がスパイクを打って、自分はひたすらレシーブ(笑)。とにかく子供の頃から数多く取ってきたので、体に染み付いているのかなと思います」
卒業文集に記した“目標”
最初は塁のバレー好きに引っ張られていたため、塁が卒業して藍が5年生になる頃、母に「バレーをやめたい」と言い出した。
「兄がいるからバレーをしている、塁と一緒にやっているという感覚だったので、自分1人になった時に、やっている意味がわからなくなって。嫌いではなかったけど、こんなにしんどい思いをしてまでやりたくないなと。でもその時はやめさせてもらえませんでした。僕はゲームが好きだったから、たぶんバレーをやめたらゲーム漬けになって、ろくな生活を送れなかったと思うので(苦笑)。親としてはスポーツをやって欲しかったんだと思います」
その時期を乗り越えてからは次第にバレーにのめり込み、小学6年生の時、2020年の東京五輪開催が決まると、卒業文集にこう書いた。
『七年後のオリンピックにでる』
実際には、新型コロナウイルスの影響で東京五輪は2021年に行われたため、「八年後」となったが、高橋は小学生の頃の夢を叶えることになる。
(続く)
《第2回では、指導者に恵まれた高校時代から、史上最年少で選出された東京五輪までの道のりを振り返ります》