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「生理の知識が少なく、十分な準備もせず」今も悔やむ“五輪直前のピル服用”「アスリートとしてのピーク」だった元スイマー伊藤華英の回想
text by

伊藤華英Hanae Ito
photograph byTakuya Sugiyama/JMPA
posted2023/10/31 11:01

北京五輪での伊藤華英さん
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私の場合、アスリートとしてのピークはおそらく北京オリンピックの時期でした。
04年から08年までの4年間は、常に自身が何かに試されているような感覚で、北京オリンピックがまさに「勝負」だったのです。アスリートにとっての1年はただの1年ではありません。当然、1年経てば身体の年齢も上がります。前の年と同じようなベストの状態で出場できても、同じようにメダルが狙えるかといえばそうではないのです。20歳を過ぎてからの1年、1年は、毎年異なった方法でコンディションを調整して過ごしていました。
自分はここで必ず引退をすると決めていた
「ここは競技人生の頑張りどき」「勝負をかける」と強く意気込んでいた反動もあったのでしょうか。北京オリンピックを終えて3カ月ほどは、力が抜けて異次元にいるような感覚でした。すでにロンドンオリンピックへの旅路は始まっていたのですが、その頃「私はこの4年をかけて、次の人生に向けて何ができるだろう」と考えていました。競泳の成績というよりも、一人の人間として次のステージに向かいたいと思っていたのです。
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北京オリンピックの目標は、メダルを獲ること。対してロンドンオリンピックの目標は、悔いなくやったと思えるように、最後まで気持ちよくベストを尽くして泳ぎ切ること。
なぜか。自分はここで必ず引退をすると決めていたからです。
<第2回に続く>

