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壮絶な虐待を受け「一生、誰も信用しない」…坂本博之が味わった「死と同義」の敗北と、抜け殻の心に響いた“子どもたちの手紙”
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2022/12/16 17:01
自身3度目の世界戦でヒルベルト・セラノに敗れ、血の涙を流す坂本博之。不屈のボクサーは、敗北の痛みと苦しみをどう乗り越えていったのか
「あっ、このお兄ちゃん知っとう」
だが、この考えは覆されることになる。17戦目で世界ランク入りして世界戦への準備が始まった時、最強の相手との対戦が決まった。ファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン)。1階級上の前WBAジュニアウェルター級王者で、当時の戦績は73戦68勝(41KO)2敗3分。2度世界チャンピオンになった実績を持っていた。
坂本は屈辱を味わった。3回、ボディにアッパーをもらって初めてダウンした。立ち上がるもコッジのスパートに再びダウン。KO負けこそ逃れたが、完敗だった。
「戦いは『試合』でなく『死合』だと本気で思っていた。負けたら死、と思っていたからでしょうね。魂が抜かれ、完全に抜け殻になってしまった」
再び立ち上がる気力も湧かない。暗闇の中で塞ぎ込む坂本に手紙が届いたのは、敗戦からしばらくしてからだった。差出人を見ると、和白青松園の子どもたちからだった。
日本チャンピオンになった時、かつて命を繋ぎ止めてもらった場所を訪ねていた。コッジ戦の約1年前の1994年6月、シトシトと雨が降る日だった。坂本は園の正門に立っていた。
実はその半年前にも一度、足を運んでいた。「嫌な思い出があった九州、もう二度と来ないと決めていたが、あの時は不思議に園に行ってみようと思った」。しかし、何も成し遂げていない自分が正門をくぐることにためらいがあった。裏門から入ると、子どもたちと目が合ってしまった。怪訝そうな表情でこちらの様子をうかがっている。
「昔、お兄ちゃんはここで暮らしていたんだよ」
優しく声をかけると、疑心暗鬼だった子どもたちが、心を許してくれた。
「お兄ちゃん、今、何しようと?」
「ボクシングをやっとうよ」
裏庭にあったバスケットコートで子どもたちと遊んだ。1時間後、坂本は園を立ち去って行った。
その時のことを思い出しながら、日本チャンピオンになった坂本は、今度は正々堂々と正門をくぐり園長に挨拶をした。すると、子どもたちが近づいてきて声を上げた。
「あっ、このお兄ちゃん知っとう」