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壮絶な虐待を受け「一生、誰も信用しない」…坂本博之が味わった「死と同義」の敗北と、抜け殻の心に響いた“子どもたちの手紙”
text by
田中耕Koh Tanaka
photograph byKoh Tanaka
posted2022/12/16 17:01
自身3度目の世界戦でヒルベルト・セラノに敗れ、血の涙を流す坂本博之。不屈のボクサーは、敗北の痛みと苦しみをどう乗り越えていったのか
坂本がボクサーを夢見たのは小学3年生の時だ。施設のテレビに映し出された映像に、たちまち釘付けになった。スポットライトを浴び、血を流しながら2人の男が激しく殴り合う……。それが初めて目にしたボクシングだった。心を閉ざした少年には、あまりにまぶしいものに映った。
「僕の場所だと思いました。あそこなら、ため込んできた不満も怒りも、何もかもを爆発させられる、と」
パンチで対戦相手の骨を粉砕「敗北は死と同じ」
その後、東京に働きに出ていた母が兄弟を迎えにきた。福岡を離れた坂本は、高校卒業と同時にボクシングを始め、20歳でプロデビュー。怒涛の連勝街道がスタートした。
武器は破格のパンチ力だ。
「判定勝ちは、相手に負けを正当化させる余地を作ってしまう。圧倒的な勝ち方、アゴでもあばらでもいい、骨を折るくらいのパンチを浴びせる完璧なKOで勝たなければ意味がない。『坂本博之』という名前を聞くだけで逃げたくなる、雪辱なんてしたくない……。それくらい恐ろしいイメージを与えたかった」
その“恐ろしさ”を証明したのが、12戦全勝(10KO)の成績を引っ提げて挑んだ日本ライト級タイトルマッチだった。相手はリック吉村。ジュニアウェルター級(現スーパーライト級)とライト級、2つの階級で日本王座を獲得したテクニシャンだ。しかし、坂本は強打を連発してリックを圧倒。9回TKOで全勝のまま日本チャンピオンになった。試合後、リックは病院に直行。坂本のフックの衝撃で肩を手術し、約30個の骨片が出てきたという。
当時、筆者の取材に対し、坂本はボクシングという競技についてこう答えている。
「ボクシングは勝者だけが光を浴び、敗者は暗黒のどん底に落ちる。つまり敗北は死と同じなんです。残酷なまでに道をはっきり分ける勝負。それがボクシングの本質なんです」