- #1
- #2
オリンピックPRESSBACK NUMBER
1学年上の田澤廉を破った“スーパー中学生”林田洋翔はなぜ箱根駅伝を目指さなかったのか?「ニューイヤーの方が面白いじゃないですか」
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byAFLO
posted2022/05/03 17:01
2016年、ジュニアオリンピック3000mで優勝した中学生時代の林田洋翔。高校卒業後は大学に進学せず、地元・長崎の三菱重工に入社した
「正直、自分はもう中学3年生の時に進路を決めていたんです。当時のコーチに将来はどうしたいと聞かれて、『MHPS(現在所属する三菱重工マラソン部。2020年に名称が変更された)に行きたいです!』って即答でした。あのころから、箱根は選択肢になかったですね。そもそも箱根よりもニューイヤー(駅伝)の方がハイレベルですし、面白いじゃないですか」
多くの長距離ランナーにとって“憧れの舞台”といっていい箱根駅伝を「選択肢になかった」と言い切る希有な個性は、いったいどのように育まれてきたのだろうか。
ウサイン・ボルトに憧れた小学生時代
林田の陸上人生は小学1年生の時に始まっている。友達のお父さんが陸上クラブのコーチをしていて、そこに誘われたのがきっかけだった。元から足は速かったのかと思いきや、そうではなかったというから面白い。
「その頃は速くもなく、遅くもなく。まあフツーでした(笑)。一応、両親ともに高校まで陸上をやっていたんですけど、そこまで熱心でもなくて。そのクラブも月に2回活動があるだけで、結果というよりも“走る楽しさ”を教えてもらいました」
始めた当初は短距離走が主で、憧れの選手もウサイン・ボルトだった。長距離は「むしろ苦手だった」と話す。
だが、その気持ちが一つ上の先輩からのアドバイスで一変する。
「どうやったら長距離を走れるのか聞いたんですよ。そうしたら『キツいと思うな。オレは行ける、行ける、と思って走ってみな』って。その通り走ってみたら、なぜかラクに走れたんです」
地元の長崎には、各地域の代表が襷をつなぐ「郡市対抗県下一周駅伝大会」という七十余年の歴史を誇る駅伝大会がある。林田が入った大村陸上クラブも、小学生区間の選手強化を目的に発足したもので、1学年上には、後にオリンピアンとなる廣中璃梨佳(日本郵政グループ)も在籍していた。楽しい雰囲気でありながらも要所を押さえた効果的な指導によって、林田は小学6年生ごろからめきめきと実力がつき始めたという。