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「ウクライナのためなら死んでもいいと詠った詩だ」サッカー界の“英雄”シェフチェンコが筆者の前で暗誦した“祖国の詩”
text by
高山文彦Fumihiko Takayama
photograph byGetty Images
posted2022/03/11 17:03
2006年のワールドカップにウクライナ代表として出場した際のシェフチェンコ。現在は祖国への支援を呼びかけるなどの活動を行っている
シェフチェンコが暗誦した“ウクライナの詩”
アンドレイに会うなり、「あなたはタラス・シェフチェンコを知っているか」と尋ねたのは、いくらかスポーツ選手を試すようないじわるな気持ちがあったかもしれない。28歳の彼は、あたりまえじゃないかとでもいうようにこちらを見て、「彼は国民の叫びを表現した最初の詩人、ウクライナの独立について語りはじめた偉大な人だ。画家としてもウクライナの自然をたくさん描いているよ」と言った。
タラスは19世紀前半から中盤を生きた人で、ウクライナは帝政ロシアの支配下にあった。ペテルブルグで逮捕拘禁され、故郷にもどることを許されたが、ウクライナ語で書いた叙事詩がロシア批判にあたるとされ、11年の流刑生活のあとペテルブルグに暮らした。そしてついに帰郷を許されぬまま、ロシアの露と消えたのだ。
なにか暗誦できる詩はないかと言うと、彼は即座に「ザポビット」という有名な詩があると言った。「ウクライナのためなら死んでもいいと詠った詩だ」と中空に目を投げて、まるで故郷の景色を見ているように朗々と吟詠をはじめた。
わたしが死んだら
葬ってほしい
なつかしいウクライナの
ひろびろとしたステップに抱かれた
高い塚の上に
はてしない野のつらなり
ドニエプルも
切り立つ崖も
見わたせるように
哮(たけ)り立つとどろきが
聞こえるように
ドニエプルの流れが
ウクライナから 敵の血を
青い海へと 流し去ったら
そのときこそ 野も山も……
訳/藤井悦子
シェフチェンコ「ウクライナは故郷以上のものなんだ」
「ザポビット」とは「遺書」の意だ。農奴であったタラスは絵が上手だったために、主人である大地主に頼んで絵を学ぶようになり、やがてペテルブルグの美術学校へ送られて、心あるロシア人や同郷の芸術仲間によって農奴身分からの解放のために必要な金銭が集められ、はじめて彼は自由の身となった。47歳で死んだ彼にとって10年にも満たぬ自由ではあったが、彼は母国に伝わる民族伝承やコサック英雄譚などを材に、禁じられていたウクライナ語で長編叙事詩を書いたのだ。