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97歳日本人が“70年前、初の海外組サッカー選手”だった? コロンビアにあった「ナゾの金満・海賊リーグ」とは 

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ファビアン・ロソ・カスティブランコ/沢田啓明

ファビアン・ロソ・カスティブランコ/沢田啓明Fabian Rozo Castiblanco/Hiroaki Sawada

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photograph byFabian Rozo Castiblanco

posted2022/03/07 17:00

97歳日本人が“70年前、初の海外組サッカー選手”だった? コロンビアにあった「ナゾの金満・海賊リーグ」とは<Number Web> photograph by Fabian Rozo Castiblanco

半世紀以上前に“海賊リーグ”と称されたコロンビアリーグに所属した道工薫

 利雄がこの手続きをしなかったため(理由は不明)、当初、薫の国籍はコロンビアだけだった。しかし、日本とコロンビアの友好に尽くした功績から、後に日本政府から日本国籍を寄与されている。

10歳で港湾都市に引っ越し、18歳でアマクラブへ

 薫が10歳のとき、一家は県都である港湾都市バランキージャへ引っ越した。

 このカリブ海沿岸一帯は、フットボーラーの名産地だ。ライオンの鬣のような金髪のアフロヘアがトレードマークで、魔術のようなボール扱いと精巧なパスで攻撃を組み立て、1990年代に3度のワールドカップ(W杯)に出場したMFカルロス・バルデラマ、万能型のストライカーでアトレティコ・マドリー、モナコなどで活躍し、2018年W杯に出場したCFラダメル・ファルカオ、驚異的なスピードとテクニックを備えた左ウイングで、1月末に推定移籍金6000万ユーロ(約79億円)でポルトからリバプールへ移籍したルイス・ディアスらを輩出している。

 利雄は、当時の日本人としては大柄で逞しかった。その血を引いて、薫も体格に恵まれていた。日本人移住者の子弟と野球を楽しんだこともあったが、最も好きで得意だったのがフットボール。路上で近所の子供たちとぼろ布を丸めた手製のボールを蹴って遊んだ。18歳のとき地元のアマチュアクラブに入り、本格的にプレーを始めた。ポジションはボランチだった。

 南米では、1916年に世界初の大陸選手権コパ・アメリカ(南米選手権)が始まった。1922年にアルゼンチンとウルグアイで、1923年にブラジルでプロリーグが創設された。

海軍に籍を置いたまま、強豪クラブへと入団

 コロンビアサッカー連盟は1924年に設立されたが、代表がコパ・アメリカに初参加したのは1945年と遅かった。南米ではフットボール後進国で、1940年代に入ってもアマチュアリーグしかなかった。

 このような状況で、薫はフットボールで生計を立てるのは難しいと考えた。その一方で、子供の頃から海軍の凛々しい制服に憧れていた。父親の祖国日本へ行けるかもしれない、という思いもあり、海軍兵学校を経て、1948年初め、海軍に入隊した。

 海軍にもフットボールのチームがあり、駐屯地でボールを蹴って楽しんだ。

 この年の8月、プロリーグが創設された。その翌月、24歳の薫は海軍に籍を置いたまま、首都の強豪サンタフェに入団する。

 この間の事情を、本人に尋ねた(現在97歳の薫は耳が少し遠くなり、話をするのもやや困難になっている。息子マルビンに質問を書面で伝え、薫の返答を送ってもらう、という方法でインタビューした)。

【次ページ】 日本人であることをアピールするため白い鉢巻を

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