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“日本競馬の常識”を変えた藤沢和雄調教師70歳が引退…馬なり調教、記念撮影の改善「私は『馬のお陰』という気持ちを忘れたくない」

posted2022/02/25 11:03

 
“日本競馬の常識”を変えた藤沢和雄調教師70歳が引退…馬なり調教、記念撮影の改善「私は『馬のお陰』という気持ちを忘れたくない」<Number Web> photograph by AFLO

JRA通算1500勝の大記録を持ち、今週のレースを最後に引退する藤沢和雄調教師(70歳)

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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AFLO

 いよいよ藤沢和雄調教師がラストウィークを迎える。近代競馬としては奇跡的と言って良いJRA通算1500勝をあげたトレーナーが、日本の競馬界に与えた影響は限りなく大きい。

 藤沢調教師は現在のJRAとなる日本中央競馬会に入る前に渡ったイギリスのニューマーケットで学んだ様々な調教法を日本に持ち込んだ。集団調教や馬なり調教などもそうだが、当時は奇異な目で見られたものの、現在では当たり前になっている事柄も数多い。当たり前になり過ぎていて、若いファンはもちろん、ホースマンでさえ藤沢調教師が定着させた事とは知らない事象も多くなったのではないだろうか? そこで今回は藤沢調教師誕生前後で大きく変わった事の例をいくつか、改めて紹介させていただこう。

改革1)最初は「危ない」と言われた集団調教

 まずは先出の集団調教。これは広く知られている事だが、以前は単走や2頭での併せ馬が常識的で、3頭での併せ馬さえそう多くは見られなかった。前運動などもそのような頭数でやるのが当然だった。

 しかし、藤沢調教師は「馬はそもそも集団で生活する動物だから、1頭でやるよりは複数頭でやった方が苦しがらない」と、4頭、5頭、時に6頭以上で馬場へ入れる調教を始めた。前運動などはそれ以上の頭数でやる事も多く、藤沢調教師が言うには「最初の頃は他の厩舎の人に『邪魔だ』とか『危ない』と言われた」事もあるそうだ。

 しかし、若き日の藤沢調教師の信念は、そんな外野の声にゆらぐモノではなかった。

「輪乗りなどは頭数が多いほど、文字通り“輪”になれる。輪になれば、前の馬の動きも良く見える。『歩様は悪く見えないか?』『落鉄をしていないか?』などを、皆で注意し合える。副次的な効果かもしれないけど、これも集団で調教をする事の利点と言えるでしょう」

改革2)鞭でバシバシ調教→“馬なり調教”の重視

 馬なり調教に関しては「開業当初は自分の厩舎のスタッフからも苦情が寄せられた」と言う。

「強い追い切りはしないから『こんなんじゃ仕上がりませんよ』と厩務員に言われた事もありました。ただ、私は文字通り単純に馬なりでの調教を課したわけではありません。強い追い切りはやらない代わりに普段からしっかりと調教をする。例えばウォーミングアップやクーリングダウンの時でさえ、ただノンビリ歩かせるのではなく『ここも運動だよ』『調教の一部だよ』という感じでしっかりとキビキビ歩かせる。こういう事を積み重ねて、ちゃんと中身が仕上がってくる。普段いい加減な調教をしておいて、週に1本か2本だけ速いところをやったって馬の能力自体は変わりません。追い切りの時計は速くなるかもしれませんが、そんな付け焼刃的な仕上げ方では、レースでバテてしまうんです」

 つまり“馬なり調教”だからといって馬にとっては軽い調教ではないのである。ひと昔前は鞭でバシバシと叩きまくって争うように追い切っていたモノだが、最近は多くの厩舎で時計に囚われない調教をするようになった。これも藤沢調教師が日本の競馬界に与えた改革の一つである事は疑いようがないだろう。

【次ページ】 改革3)自腹で作り上げた“馬のための環境”

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