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タイトルホルダーがセイウンスカイ以来23年ぶりの菊花賞逃げ切りV!「キタサンブラック級」の可能性を引き出した横山武史の“単騎逃げ”
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byPhotostud
posted2021/10/25 12:20
菊花賞を逃げ切りで制したタイトルホルダーと横山武史
先頭を譲らず5馬身差の圧勝
正面スタンド前で、先頭のタイトルホルダーと2番手との差は4、5馬身。最後尾までは15馬身以上の差がついていた。
1、2コーナーを回り、2周目の向正面に入ってもタイトルホルダーは先頭をキープしている。
3、4コーナーで後続がペースアップし、タイトルホルダーと2番手との差は4分の3馬身ほどに詰まってきた。それは、タイトルホルダーがバテて失速したからではなく、横山があえて後ろを引きつけたからだった。
最後の直線、余力をたっぷり残していたタイトルホルダーは楽に末脚を伸ばし、ラスト200m地点でリードを5馬身ほどにひろげていた。
そのまま後続の追い上げを封じ、追い込んだ2着のオーソクレースに5馬身差をつけ、先頭でゴールを駆け抜けた。横山は左手を突き上げた。
「前走(セントライト記念、13着)がひどい競馬だったので、そのリベンジというか、よりいっそう勝ちたいという思いがあったので、結果を出せてよかったです。この距離はタイトルホルダーには長いかなと思っていたのですが、終わってみれば強かったですね。馬の力を信じてやれなかった自分が恥ずかしいです」
父・典弘とセイウンスカイ以来23年ぶりの…
セントライト記念では直線で前が壁になって進路がなくなり、ほとんど追うことができなかった。しかし、負けたこと自体は残念だったが、あの敗戦によって、好位につけて脚を溜める競馬より、序盤から行く形のほうがいいことを確かめられた。トライアルを文字どおりの「試走」として使うことができ、この勝利につながった。
「馬は余裕があったかもしれないですけど、ジョッキーには余裕はなかったです」
横山はそう話したが、最初の1000mを1分ちょうどで行ったあと、次の1000mを1分5秒4に落とし、最後の1000mを59秒2でまとめるエスコートは見事だった。
菊花賞を逃げ切ったのは、横山の父・典弘が騎乗した1998年のセイウンスカイ以来23年ぶりのことだった。菊花賞でセイウンスカイが刻んだ1000mごとのラップは、59秒6、1分4秒3、59秒3。
阪神と京都という違いはあるが、速めのラップで入り、中間で大きく落とし、最後に後続に脚を使わせながら突き放す――という形は同じだった。騎手が被る2枠の黒帽まで同じなら、勝って左手を突き出すポーズまでよく似ていた。