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「すでに世界が見習うべきモデルだが…」手術明けのトルシエが語った日本の課題<マリノスがブンデスリーガに参加したら?>
posted2021/10/02 11:01
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph by
Getty Images
今年、創立100周年を迎えた日本サッカー協会は、2050年までに日本にワールドカップを再誘致し、優勝することを目標に掲げている。またJリーグは、2030年までに世界の5大リーグのひとつになることを目標としている。
日本のこれまでの歴史、とりわけJリーグが創設され、日本代表がアジアのトップとなったこの30年間を振りかえり、今後の10年、あるいは30年を予測したときに、ふたつの目標は達成可能といえるのか。
フィリップ・トルシエに話を聞いた。ベトナム(PVFアカデミーのディレクターとU19代表監督を兼任していた)からフランスに帰国し、懸案だった膝の手術が成功したばかりのトルシエは、術後も3週間の入院とさらなるリハビリを要するという。
手術の翌々日、電話でおこなったインタビューを前後2回に分けて掲載する。(全2回の1回目/#2はこちら)
――手術はどうでしたか?
「ああ、うまくいった。君は元気か?」
――まあ元気です。この夏は暑さが続いたので少し疲れてはいますが。
「質問表を見たが、答えるのは簡単ではない……」
――数は少ないですが、大きなテーマについて尋ねているのでそうかも知れません。
「ドクターがいつやって来るかわからないが、そのときは一時中断してまた始めればいい」
20年後の日本サッカー
――それでは始めます。あなたが代表監督として日本にやって来た1998年は、日本代表もまた日本サッカーそのものも今よりずっとナイーブでした。今日の日本はさまざまな面で進歩を遂げましたが、当時と今の違いをどう感じていますか?
「私の時代からふたつの側面があった。ひとつは日本固有のサッカーで、日本という国のなかでだけ実践されているサッカーだ。もうひとつが日本代表だ。
私の時代から今日までに多くが変わった。当時の日本代表はほとんど――90%か95%が国内組だった。今は70~80%が海外のクラブに所属する選手たちだ。そこに大きな違いがある。
私が国内の選手たちでチームを作っていたときは、必然的に今とは異なる準備の方法をとっていた。だから結果も異なっていたが、大きな違いは今日の日本のサッカーエリートは、海外でプレーする選手たちであることだ。