野球のぼせもんBACK NUMBER
「ガチな野球ファン以外を取り込む」期待と不安渦巻く“ホリエモン新球団”は「球界の救世主」になりえるか<切り札はスポーツの賭け事!?>
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byAFLO
posted2021/09/23 11:04
「ホリエモン新球団」が本格始動。会見で堀江氏が明かした「球団を作った理由」と「将来構想」とは
「仙台ライブドアフェニックス」参入争いから17年
今年5月の設立会見の際も「これからの生き方を考えて、実践していく」との理念を何度も繰り返しており、それを再度強調した形となったわけだが、堀江氏と球団設立といえば、切り離せないのが2004年の球界再編だ。
大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併に伴い、一部球団オーナーがさらに球団を削減して8~10球団の1リーグ制への動きを進めていることが表面化した。
その中で、旧ライブドア社長だった堀江氏は近鉄買収による12球団制維持を主張。仙台を本拠地にチーム名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督を当時阪神駐米スカウトだったトーマス・オマリーにするとまで発表していた。ただ、最終的には楽天との参入争いに敗れる形となり、実現はしなかった。
福岡北九州フェニックスの球団名はその名残であることを認めている。あれから17年。堀江氏にとっては独立リーグといえども球団オーナーとなるのは夢だったのか。
しかし、当の本人は笑って首を横に振っていた。
「今回、プロスポーツを立ち上げる意義は先ほどお話ししたとおりですが、あの時はあの時で世の中では大きな動きがあったのです。私が当時インターネット事業を行っていたこともありましたが、あの頃は携帯電話のメールやドコモの『iモード』などの通信が一気に流行った時期でした。人々がレジャーで時間を埋める動きが出てきていました」
まだスマホがない時代だ。ただ、携帯電話の通信機能が発達してきたことで、どこにいても何をしていても携帯電話が手放せない習慣が一般的になったのはその頃だった。エンターテインメントが身近になった。それまで大都市でしか触れられなかった娯楽が、地方でも楽しめる。
「これからは地方のレジャーがバズる。そう思って手を挙げたんです」