Sports Graphic Number MoreBACK NUMBER
「僕には、ゴールが必要だった」中田英寿が“パスの美学”を捨てた理由と“異質な覚悟”《伝説の「ユベントス戦で2ゴール」から23年》
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byAFLO
posted2021/09/13 11:00
セリエAデビュー戦でユベントスのデシャンとマッチアップする中田英寿。
ラツィオ移籍前のペーニャは、バルセロナで81試合に出場して11ゴールを挙げている。これは、ベルマーレで85試合に出場し、16ゴールを挙げた中田とほぼ同じアベレージと言っていい。
だが、ペルージャに移籍した1年目の中田が生涯初にして最後のシーズン2ケタ得点を叩き出したのに対し、ペーニャはただの1点も奪うことができなかった。
当時のセリエAが世界最高峰のリーグであったことは衆目の一致するところだが、では、リーガ・エスパニョーラとJリーグ、どちらのレベルが高かっただろうか――そう考えると、中田英寿がやってのけたことの途轍もなさが浮かび上がってくる。
「パスの美学」を捨てた理由
セリエAでのデビュー戦となったユベントス戦での2ゴールを、中田は「シュートを打つしかない環境にあった」と証言している。普段の自分だったらまずゴールを狙わない角度、位置だったが、誰からも信頼されず、パスが回ってこない立場を打破するためには、まず得点を奪うしかない。だから打ったのだ、と。
「それまでの僕はパスを出すことにこだわりというか、美学みたいなものがあって、いかにいいパスを、面白いパスを出すかということに重きをおいてやってきていた。でも、イタリアという国で実績のない外国人選手としてプレーする以上、まずは得点という形で結果を出していかないと、自分がやりたいこともできないんだなと」
つまり、彼は、セリエAで生き残っていくためにそれまでの自分がやってこなかったことをやった。一方、バルセロナ時代からスルーパスの名手と言われ、反面、守備意識の低さを指摘されてきたペーニャは、イタリアに来てもまったく同じ評価を受けた。そして、スペインよりもはるかに守備意識の高さを求められるイタリアでは、結局、それが命取りとなった。
確かに、覚悟が違ったと言われても仕方のない部分はある。
とはいえ、当時の中田英寿が内に秘めていた覚悟が、相当に異質なものだったのもまた事実である。