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「僕には、ゴールが必要だった」中田英寿が“パスの美学”を捨てた理由と“異質な覚悟”《伝説の「ユベントス戦で2ゴール」から23年》
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph byAFLO
posted2021/09/13 11:00
セリエAデビュー戦でユベントスのデシャンとマッチアップする中田英寿。
ペルージャのユニフォームに袖を通したとき、中田は21歳だった。失敗をしても、まだ十分にリカバリーが利く年齢でもあった。にもかかわらず、彼は「Jリーグに戻って出直す」というリカバリーの道を、あらかじめ、そして完全に断ち切ってイタリアに渡っていた。これがどれほど異様な決断だったかは、その後の挑戦者たちがたどった道のりを見ればわかる。
Jリーグには戻らなかった
中田英寿以降、多くの選手がヨーロッパに活躍の舞台を求めた。成功を収めた選手もいれば、思うような結果に恵まれなかった選手もいる。
だが、いまのところ、中田英寿ただ一人なのだ。
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欧州のクラブへ移籍したあと、Jリーグへ戻らずに現役を終えた日本代表選手は。
思えば、メジャーリーグへの道を切り開いた野茂英雄も、日本のプロ野球界に復帰することなくユニフォームを脱いでいる。おそらくは彼も、ロサンゼルスに渡った時点で退路は完全に断ち切っていたはずで、改めて、2人が抱えていた覚悟というものの重さ、凄みを感じざるを得ない。
中田英寿は、多くのものを変えた。彼の成功により、雲の上のそのまた上だった世界の最高峰は、日本人にでも手の届くところにあると多くの人が知った。戦後の日本人が延々と積み重ねてきた「日本人限界論」の幻影は、少しばかり輪郭を失った。