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《井上尚弥“2世”出現は?》ボクシングの新“登竜門”日本ユース王座が“大豊作”で井上の師・大橋会長も「未来は明るい」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byHiroaki Yamaguchi
posted2021/07/17 11:00
7月8日の日本ユース・スーパー・フライ級王座決定8回戦にて実現した中垣龍汰朗(右)vs.花田歩夢。結果は両者譲らずドロー
そもそも日本のボクシング界は、4回戦でプロデビューする選手に対し、4回戦のトーナメント戦である新人王戦、日本タイトル挑戦者決定戦、日本タイトル戦という“出世コース”を設けていた。このシステムは長年うまく機能していた半面、新人王から日本タイトルまでの距離が少し長く、この間を埋めるタイトルを望む声は少なからずあった。その要望にユース王座はこたえたというわけだ。
ユース王座の出現によって“若手市場”は活性化
ユースタイトル創設に携わったプロモート会社、DANGANの古澤将太代表はユース王座ができたもう一つの理由を説明する。
「当時、B級デビューの選手(アマチュア出身で6回戦の試合ができる)が増えてきている中、16年にアマで21勝以上している選手は新人王に出場できないというルール改正がありました。そこでアマからプロに転じた選手の活躍の場、目標を作らなければならないという問題を解決するために、ユース王座が必要だったという背景もあります」
アマ経験のない(あるいは少ない)4回戦からC級デビューする選手は「叩き上げ」と呼ばれる。アマでキャリアのある選手は6回戦からB級デビューすることが多い。通常、叩き上げの選手側はアマ経験豊富なB級デビュー組との対戦を嫌がるものだが、古澤代表によれば「ユースタイトルマッチならアマ出身者が相手でもやる」という選手が増えたという。実際に試合をしてみると叩き上げ組が勝利することも珍しくなかった。ユース王座の出現によって若手市場は活性化した。
佐々木vs.湯場は「ユース4年間の歴史の中で一番」
ユースタイトルマッチに出場した選手の中で、一番の出世株はなんといっても現WBO世界フライ級チャンピオンの中谷潤人(M.T)だ。中谷は17年8月、ユーリ阿久井政悟(倉敷守安)との王座決定戦を制し、初代ユース・フライ級チャンピオンに輝いた。日本王者を経て世界チャンピオンになったのはその3年後。ちなみに中谷に敗れながら、キャリア15勝のうち9勝が1ラウンドKOという“速攻ボクサー”阿久井も19年に日本タイトルを獲得しており、2人の活躍はユース王座の価値を大いに高めたと言えるだろう。
そして今月17日には、八王子で日本ユース・スーパー・ライト級王者の佐々木尽(八王子中屋)と日本ユース・ライト級王者の湯場海樹(ワタナベ)が佐々木の持つスーパー・ライト級王座をかけて激突する。階級を超えた初のユース王者対決の盛り上がりは「ユース4年間の歴史の中で一番」(古澤代表)という注目度だ。