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【命日】野村克也が再生した3人が明かす “心理をつく感性” なぜ「みんなノムさんにはめられた」のか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKYODO
posted2021/02/11 06:00
江本孟紀(右)は野村克也の「矛盾だらけ」な本当の顔を知る
野村「だれかあのカーブを打ってくれ!」
このカウントは……。次の球を待つ数秒の間に小早川の頭をある光景がめぐった。
神宮球場クラブハウスでの野村の熱弁。
「その数日前、開幕3連戦のミーティングをしたんですが、途中でスコアラーに代わって野村さんが前に出て『斎藤はカウント1-3から必ずカーブを投げてくる。それを誰も打たないからストライクを取られ、結局は打ち取られる。だれかあのカーブを打ってくれ!』と切実に言ったんです」
野村が言う通り、いつもの小早川なら手を出さないボールだったという。
「1-3という打者有利のカウントで緩いボールはあまり打ちません。打者は基本的に速い球で打ち取られると悔いが残るので、ストレートにタイミングを合わせる。変化球100%で待つことはまずありません」
ただ、この打席はすでにホームランを打っていたこと、導かれるように野村が言ったカウントになったことで、小早川はその一球を狙ってみようという気になった。
もしストレートがきても監督のせいにすればいい
「この一球は監督にあげようと。もしストレートがきて打ち取られても監督のせいにすればいいやという気持ちでした」
カーブは本当にきた。誰も打たなかった一球を右翼席へ叩き込む。打球の行方を目で追いながら小早川は呆れたように笑った。ベンチに戻ると野村がにやりと笑っていた。
次の打席も一発が飛び出し、開幕戦3打席連続ホームラン。小早川は再びスポットライトの下に戻り、チームはリーグ優勝、日本一へと駆け上がっていった。
「野村監督に勇気を持てと言われたことがありまして。これまでの自分ならあそこでストレートを待っていた。勇気を持つことで大きなものを変えられたんです」
故郷を去る。未練を捨てる。振り返ってみれば小早川が勇気をふるうたびに、その裏に野村の存在があった。