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【命日】野村克也が再生した3人が明かす “心理をつく感性” なぜ「みんなノムさんにはめられた」のか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKYODO
posted2021/02/11 06:00
江本孟紀(右)は野村克也の「矛盾だらけ」な本当の顔を知る
「みんなあの人にはめられてる(笑)」
「もちろん松井の気持ちを察するところはありましたけど、やはりそこまで信頼してくれているという嬉しさはありましたよ」
天才ルーキーと言われた左腕は過去の栄光と決別したことで失っていた誇りを取り戻した。63試合に投げて防御率2.09。フル回転した遠山に、シーズン終了後、野村がすれ違いざまに言った。
「ご苦労さん。あのブスっとしたような顔でそう言われたんです。その一言でああ、俺、やったんだなあって思いました」
野村により生を得た野球人は数知れない。球界に多くを遺した故人を偲び、あの采配の、あの言葉の意味は何だったのかと世の中が反芻する。江本はそうして野村が名監督のイメージで塗り固められていくのが好きじゃない。
「野村の言うことが理詰めと言うけどあの人ほど矛盾してる人はいないんですよ。挨拶、礼儀から始まるってノムさんはよく言うけど、球界で一番挨拶しなかったのは本人ですから。よく先輩が怒ってましたよ。全部、自分の裏返しをやっているんです。一番あの人が矛盾してるのは『弱い球団を預かって強くした』と言うけど、阪神、楽天と弱いチームの時は4年連続で最下位、Bクラスです。ヤクルトの時は良い選手がたくさんいたんです。その矛盾がいつの間にかひっくり返って今の野村像ができあがった。みんなあの人にはめられてるんですよ(笑)」
「人間の心理をつく感性は天才的でした」
江本が思い出すのは南海時代、野村が“カーブ投手”をリードしたときのことだ。
「よそで落ちぶれて、カーブしかまともな球がないピッチャーをよく投げさせていたんです。他の捕手はカーブを投げさせるんですが、打者もそれしか待っていないから打たれる。でもあの人は逆に真っすぐしか投げさせなかった。しかもインコースに。緩い真っすぐがビシビシ決まる。打者は狙ってないから打たない。それで最後にボール球のカーブを投げさせる。よし、きた! と思った打者は空振り三振。そういう人間の心理をつく感性は天才的でした」
江本が言いたいのは、野村再生工場がハイテク設備だと信じている人はみんな野村に空振りさせられてるんだということだ。そこにあるのは脳みそを汗まみれにするような手練手管の職人芸だということだ。
「捕手っていうのはね、人をだましてナンボの商売ですから。だまして裏をかいて二流投手の球をよく見せてやる。勝たせてやる。それをあの人は生涯やり通したんです。まさに人生の捕手ですよ」
孔子やらアリストテレスやらの賢人哲人にされてしまいそうな野村を江本は必死に人間くさいひとりの捕手へと引き戻す。
生涯一捕手を旨とした野村はきっとこの悪態に、天国から破顔している。