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【命日】野村克也が再生した3人が明かす “心理をつく感性” なぜ「みんなノムさんにはめられた」のか
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKYODO
posted2021/02/11 06:00
江本孟紀(右)は野村克也の「矛盾だらけ」な本当の顔を知る
「だからノムさんが僕の野球生命を奪ったんだ!」
この舌禍事件と野村の因果関係について生前、こんなやり取りをしたという。
「お前なんであんな早く辞めたんや?」
「そもそもノムさんが悪いんですよ!」
「何が悪いんや?」
「監督ってこういうものだと最初に見せたからいけなかったんです。それを基準に考えたら、ついあの言葉が出てしまう。だからノムさんが僕の野球生命を奪ったんだ!」
野村はただにやにや笑っていたという。
「ヤクルトに聞いてみてもらえませんか?」
'96年、広島カープ一筋13年目、35歳になる小早川毅彦は時代の波に押し出されそうになっていた。開幕こそ一軍で迎えたが、まもなく二軍行きを命じられ、夏には球団本部長から呼ばれ、引退勧告を受けた。
「広島出身でカープが好きでしたし、球団で仕事をしてほしいと言ってもらった。でも、まだやれるという気持ちがあったんです」
進退を考える数日の中で小早川の頭にはある人物が浮かんでいた。出番が減っていた当時、球場ですれ違うたび、いつも声をかけてくる敵軍の将、野村克也だった。
「今日は試合に出るのか、なぜ出ないのか。俺ならあの場面でお前が出てきたら嫌だったとか、そういう話をよくされたんです」
揺れる胸中に野村の言葉が響いた。
そして数日後、小早川は球団に頭を下げ、現役続行の道を選んだ。当てはあるかと心配してくれた本部長にダメ元で頼んでみた。
ヤクルトに聞いてみてもらえませんか?
すると、それからわずか1時間後に本部長から電話がかかってきた。
「おい、ヤクルトに決まったぞ――」
翌'97年4月4日、セ・リーグ開幕戦、巨人対ヤクルト。小早川は5番打者としてスタメンに起用された。東京ドームのマウンドには前年、チームが0勝6敗と大の苦手とした巨人のエース斎藤雅樹がいた。
その第1打席、初球ストレートをセンターへ運んだ。移籍初打席初ホームラン。
「あれはストレート狙いで積極的にいくという、それまでの自分のスタイルでした」
そして逆転されたあとの第2打席、カウントが1ストライク3ボールとなった。