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「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byMasatoshi Kuriaki
posted2021/01/30 17:04
2001年のフォレイカー(5304m)で栗秋が撮影した写真。最終キャンプの雪洞内から見たデナリ
栗秋 スポットは商品名です。アメリカではアウトドアやハンティングをするときなど、多くの人が携帯しています。「help」ボタンと「911」ボタンの2つがあって、「help」は仲間内で大丈夫だよみたいな感じで使うボタンです。「911」は日本でいう110番です。僕は「911」の方を押しました。
――ボタンを押すとき、躊躇はしませんでしたか。
栗秋 25日から悪天候のためまったく動けず、停滞7日目の31日の夜、明日の朝に押そうと決めました。食料も尽きかけていたので。決めるまでは葛藤はありましたけど、押すときはポンと押せました。命を取るか、見栄を取るか、その二者択一だったので。ただ、押したときは、終わったな……とは思いましたね。山を登る資格を失うかもしれない、と。それくらいの覚悟を持って押しました。
「行方不明になるか、クレバスに落ちて終わっていた」
――栗秋さんは、昨年10月に出版した『山の旅人』という本のあとがきの中で、登山の中で優先すべき事項の順位は「(1)生還」「(2)楽しむ」「(3)運がよければ登頂」だと書かれています。それに従ったというわけですね。
栗秋 あの状況で動いていたら、最終的には、雪崩に遭っていたと思います。流されたら、行方不明になるか、クレバスに落ちて終わっていたでしょうね。
――救助は、すぐに来たのですか?
栗秋 4月1日の午前7時過ぎくらいにスポットを押して、11時前にアラスカ州空軍のレスキュープレインが飛来しました。ブリザードだったので、機体は見えませんでしたが、携帯していた航空無線でやりとりはできました。そこで体調、食料と燃料の残量などを伝えました。その後も12時、13時、14時と、合わせて4回飛んできてくれて、雲の切れ間から、なんとかキャンプ2の位置を確認し、正確な緯度経度を知ることができたとのことでした。視界が悪いため救助活動は、明日以降になると言われたのですが、翌日も天気が悪く、迎えにきてくれたのは4月3日でした。
――気が動転して、英語がうまく聞き取れないとかいうことはなかったのですか。
栗秋 そこはさすがだと思わされました。シンプルな英語で、間違いのないよう、ゆっくりしゃべってくれるんです。ものすごく落ち着いた声でしゃべってくれるので、こちらもとても安心することができました。
「恋焦がれていたハンターではなくなっていた」
――救助は何人でくるものなのですか。