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《全日本女王が19歳に》紀平梨花が自身初の“4回転”ジャンプ成功を「計画通り」と語った“ワケ”
posted2021/07/21 06:00
text by
野口美惠Yoshie Noguchi
photograph by
Keiichiro Natsume
〈初出:2021年2月4日発売号「紀平梨花『計画通りの4回転』」/肩書などはすべて当時〉
日本女子として実に17年ぶりに4回転ジャンプを成功させ、全日本選手権連覇を達成した紀平。快挙のカギとなった身体作りと靴の調整、そして2人のコーチの教えを、大会後に語った――。
左足の内側に体重をかけると、ふわっと蝶のような軽やかさで舞い上がった。4回転回り、やわらかく着氷する。全日本選手権で、日本女子2人目の4回転ジャンパーとなった紀平梨花。歴史的成功から10日後、改めて成功の要因をこう振り返った。
「一番はあの日、あの瞬間に調子を合わせて持っていけたこと。練習と試合は違うので、試合で成功できる感覚を忘れずに、そこだけに集中して準備できたことが、4回転成功へと繋がったと思います。それにスイスで筋力アップをして高さが出たこと。そして靴を1週間前から替えず感覚を慣らしたことも大きいです」
身体、技術、本番へのメンタル。まさに心技体の3要素を整然と分析していく。その様子は、偶然の成功ではなく、必然であったという自信に満ちあふれていた。
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4回転サルコウに試合で初挑戦したのは、'19年12月のグランプリファイナル。転倒したものの本番での手応えをつかむと、'20年3月の世界選手権での初成功を目指し、早めに現地のカナダ入りをした。
「カナダのリンクは跳びやすくて、日本にいる時よりも良い感じで4回転サルコウが跳べていました。さあこれから調整していくぞ、という時に中止になったんです」
帰国後は、緊急事態宣言が発出された。
「当時はコロナウイルスがどういうものかも分かっていない時期だったので、濱田(美栄)コーチとも会うことも出来ませんでした。リンクで1人だけの枠を取っていただき、家族以外とは誰にも会わないという日々。調子を保つだけの練習になって、4回転は止めていました」
「この新しい環境を楽しもうと思いました」
不安に呑まれそうな自分に気づくと、あえて『楽しむ』ことを意識した。
「私の場合、周りには見せないんですが自分の中では『もうダメだ、終わった』と落ち込むことも時々あります。ストレスが一度溜まりだしたら、練習もどんどん悪くなるし、楽しいことも楽しくなくなるタイプ。この新しい環境を楽しもうと思いました」
一番の支えになったのは姉だった。
「お姉ちゃんが通っているダンス教室がオンラインレッスンになっていたので、それを一緒に見たり、ダンスを2人で覚えたり。家で姉とトレーニングするのは、新しい感じで楽しく過ごせました」
やがて夏が訪れ、欧州の感染状況が落ち着いた7月、スイスのステファン・ランビエルの夏合宿に参加することになった。ランビエル自身が「これを乗りこえるだけで自信がつく」と自負するハードな2週間である。思えば、4回転サルコウの確率が上がったのも米国での高地合宿。新たな環境での刺激が成長に繋がると感じていた。
「それが、滅茶苦茶きつかったんです。朝8時から夕方6時まで6つもレッスン枠があって、氷上だけでなく、ダンスとかバレエとか空手とかもあって、達成感と充実感は、ものすごいものがありました」