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五輪代表選考会が「慶大vs東大vs一橋大」のことも…「ボート競技」と“エリート校”の関係とは?

posted2020/10/13 17:02

 
五輪代表選考会が「慶大vs東大vs一橋大」のことも…「ボート競技」と“エリート校”の関係とは?<Number Web> photograph by Getty Images

ヘルシンキ大会では大学生と大学出身者(戦前の高等教育機関を含む)を合わせた人数が、出場者の7割を超えていた(写真はリオデジャネイロ大会での様子)

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小林哲夫

小林哲夫Tetsuo Kobayashi

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 オリンピック日本代表は“高学歴社会”である。なかでも、オリンピックと大学の関係できわめて高い親和性が示されるのが、ボート競技だ。52年ヘルシンキ大会、56年メルボルン大会まで時代を遡り、ボート競技に青春を賭けたエリート達の声を聞く。
※本稿は、小林哲夫著『大学とオリンピック1912-2020』(中公新書ラクレ)の一部を抜粋したものです。

52年、五輪出場者の7割以上は「現役大学生or大卒者」

 戦後、日本のオリンピック参加は1952年ヘルシンキ大会からだった。同大会で代表選手72人中、大学生は38人を数えた(53%)。しかも唯一の金メダリスト石井庄八(レスリング)は中央大の学生だった。銀メダルを獲得した大学生には水泳で鈴木弘、谷川禎次郎(いずれも日本大)、レスリングで北野祐秀(慶應大)。銅は体操の小野喬(東京教育大、現・筑波大)がいる。メダリストは延べ12人。うち5個のメダルが大学生の胸にかけられた。

 50年代のオリンピックはアマチュアリズムがしっかり浸透しており、日本だけでなく多くの参加国でトップアスリートの主役は大学生だった。

 52年ヘルシンキ大会日本代表では、すべて大学生が担った競技がある。レスリング、ボート、ボクシングだ。このうち、ボートは全員、慶應大の学生だった。50年代前半、大学数は約230、大学進学率は7%台である。ヘルシンキ大会では大学生と大学出身者(戦前の高等教育機関を含む)を合わせた人数が、出場者の7割を超えている。オリンピック代表はエリート集団といえる。

 なかでも、オリンピックと大学の関係できわめて高い親和性が示されるのが、ボート競技である。どういうことだろうか。

 ボート競技は、全日本選手権大会に優勝したクルーがオリンピック代表に選ばれる。毎年、大会上位は大学で占められていた。大学のほうが社会人クルーより強く、事実上、大学日本一イコールオリンピック代表となる。この代表選考方法は60年代まで続いた(64年東京大会は一部の種目で大学クルーでなく選手を選抜)。

 いわゆるエリート難関校が強かったのは、大学からボートを始める学生が多く、彼らを指導するコーチ陣が揃い施設も充実していたからだろう。東京大、京都大、一橋大、早稲田大、慶應大など、明治時代に創部した大学に、この特徴が顕著に見られる。

 ボート競技で、学生時代に日本代表だった人々を訪ねてみた。

代表選考会は「慶應大vs東京大vs一橋大」の3校戦に

 ヘルシンキ大会代表の舵手付きフォア(漕手4、舵手1人)には、慶應大端艇部の5人が選ばれた。法学部3年の武内利弥は1930年東京生まれで、44年に旧制の都立第一中学校に入学する。教育制度が変わって都立第一高等学校(現・日比谷高校)となり、49年、慶應大に入学し友人から誘われて端艇部に入った。

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